世田谷の農地を守りつつ
代々の思いをつなぐ家
「築120の土蔵と調和する住居」
三田敬代さん、浩一朗さんご一家を訪ねて
「築120の土蔵と調和する住居」
三田敬代さん、浩一朗さんご一家を訪ねて
今も住宅の間には、いくつもの大きな農家があります。
有機無農薬のおいしい野菜を育てる三田浩一朗さんもそのひとり。
歳月を重ねた土蔵を生かしながら建て替えたお住まいには、
代々の歴史を守り次代につなげていく強い思いがこもっています。
門を入り、2階建の母屋に向かっていくと、左手にはゆったりとひろがる農地。小松菜やルッコラ、チンゲンサイ、からし菜などがいきいきと育ち、見事な盆栽が並ぶ棚もあります。
「年間90種類くらいの野菜を育てています」と三田家15代目の浩一朗さん。
営む「三田園芸」の野菜は無農薬有機栽培。そのおいしさは伊佐ホームズの皆が知るところです。
朝採り野菜を社員食堂で使わせていただくようになって以来、自宅用に取り寄せる社員も次々と増えました。聞けば、米ぬかや落ち葉で堆肥をつくり、種も自家採種しているのだそう。
「5年くらい種を採り続けていくと、ここの土になじんできて、いいものができるんですよ。今はレストランなどに直接納入するかたちでやっています」
ずっと懸案だった、明治時代建造の母屋
ご縁のきっかけは2018年に母屋建て替えのご相談をお受けしたことでした。
深沢には三田姓の家がいくつもあります。江戸時代の3軒の三田さん農家から分家し、それぞれに屋号もあるそうです。
「うちは昔は米と野菜。曾祖父から盆栽と野菜が半々になり、僕の代から野菜中心となりました」
以前ここでは築130年を超える平屋の母屋でお母様の敬代さんがお父様と共に暮らし、浩一朗さんは近所に住んでいました。
やがてご両親は母屋の今後をしばしば話し合うようになります。明治時代建造の家はあちらこちらに不備が出てきていたし、屋内は暗く、冬の寒さもつらかったのです。
お父上のご意思をつなぐ
ところがお父様は2017年末に急逝。私たちへのご依頼は、ご両親の思いを知った浩一朗さんから届けられました。
承った伊佐裕は「お父上のご遺志をつながれるというお話に、全身全霊でお応えしなければと感じました」と振り返ります。
もとの母屋は 室もある大きな家。使われていた大黒柱や梁、建具などもよいもので、新しい家にできるだけ生かそうということは敬代さんや浩一朗さん、そして私たちの共通の考えでした。検討を要したのは、土蔵をどうするかということです。
築120年あまりの土蔵は、中の仕切り壁で内蔵と外蔵に分かれ、母屋からはわずかに離れて建っていました。状態もよく、壊してしまえば二度と復元できない蔵です。しかし大きな樹木に包まれたその場所には駐車場をつくる計画もありました。そこで行ったのが〝曳家〞という手法です。解体せず、そのままの姿で移動させるのです。
壁の補強に2週間、持ち上げて動かし降ろすのに各1日。約12メートルをスライドさせ、土台の石の高さも調整することで、新しい母屋から直接内蔵に入れる位置に持って行くことができました。設計を担当した大宅哲郎は「母屋の外まわりは平屋、中央部分に2階を置いて、存在感のある土蔵とのバランスを考えました」と言います。
大黒柱や梁、書院障子も引き継いで
母屋の中にも以前の家の面影は各所にあります。欅の大黒柱は削って拭き漆を施し、和室や1・2階リビングにも使いました。
地松の梁、組子の美しい建具なども、この新しいお住まいにどこか懐かしくも穏やかな情感を添えます。そして、敬代さんと長女の紗歩里さんが暮らす1階、浩一朗さん一家が住む2階どちらからも、眺め渡す畑の景色の心地いいこと!
「本当にいい家になりました。伊佐さんにお願いしたいと言っていた主人の言葉に間違いはありませんでした」と敬代さん。
土蔵に向かう位置に、竣工時に浩一朗さん一家が押した手形がありました。7歳と2歳のお子さんのものも。この家で紡がれていく新しい歴史を感じた瞬間でした。
—『伊佐通信』13号(2022年)より転載—