老梅と書がつなぐ家族の歴史
梅の木に守られた家
梅の木に守られた家
右手には、母であるKさんが住む1階、長男一家が住む2階それぞれの内玄関があります。窓の横の戸から庭へ出た奥が、1・2階とも次女一家の住まいです。こちらも専用の玄関を持っています。
庭からアプローチするガレージの上には、「詩禅堂」と名付けた離れがあります。先代、伊藤神谷氏の書や愛用の道具、コレクションなどを展示するギャラリーです。
伊藤神谷氏は高知県の出身。同郷の川谷横雲に師事し、戦前から大日本書道院などで活躍した高名な書家です。知的でモダンな線の美で知られ、書道芸術院創設など戦後の書壇再建にも尽力しました。かつてはネギ畑に囲まれていたという世田谷の地に小さな平屋を建てたのは、昭和28年のことでした。
Kさんは昭和43年にこの家に嫁ぎました。家族が増えるにつれリフォームを重ねた建物には、最も多い時期には義父母、Kさん夫妻、3人の子ども、ご主人の弟の8人がともに暮らしていたといいます。
「義父はこの家の庭が好きでした。梅の木は、住みはじめた当時に樹齢100年ほどのものを手に入れて植えたそうです。中心には枯山水があり、石灯籠は7つ。苔むした石垣もきれいでしたよ。夫も庭仕事が趣味で、自分で築山をつくったりもしていました。7本の梅は春には庭じゅうに香り、初夏にはたくさんの実をつけて、梅酒にするのも楽しみでした」
時は経ち、子どもたちは独立し、義母と夫を看取ったのち、義父も平成17年初頭に亡くなります。家に住むのはKさん1人となりました。
「何度も改築した建物は迷路のようで、掃除するだけで1日がかり。こんな広いところに1人ではとても住めません。それで子どもたちと相談し、長男夫婦と次女夫婦が帰ってくることになったんです」
「以前、(ギャラリー櫟で開かれていた)義父のお弟子だった浜田尚川先生の個展に伺ったことがあり、素敵なところだな、と思っていました。近所でも、伊佐ホームズで建てられたら最高よね、と評判だったんですよ」
ご希望は、1つの建物に玄関も水回りも別々の三世帯が暮らす集合住宅のような姿でした。約100坪の土地は相続した長男と次女で分筆し、建物内部も敷地の境界線上に壁を設けて分けることに。中のデザインは各世帯の自由とし、設計担当者との話し合いには、それぞれ雑誌の切り抜きなど持ち寄り、理想とするイメージを伝えました。
また、家には膨大な量の書道作品や、義父愛用の筆、硯、貴重な書物などがありました。生前から整理を一任されていたKさんは、建て替えにあたって1枚1枚の作品に向き合ったといいます。実は彼女自身も小さいころから書に親しみ、この家で習字教室も開いてきた腕前。「まとめて目にして、義父の書の素晴らしさにあらためて圧倒されました」
家では管理が難しいことから、コンテナ1台分を高知県の「紙の博物館」に寄贈。数作品のみを手元に置くことにしました。それを聞いた設計担当者は、思い切った提案を行います。それが、ガレージの上にギャラリーをつくるというものでした。それなら家族の誰もがいつでも義父の書の世界に触れられる。見学したい人があれば、庭を通って案内することもできます。
「義父が遺してくれた土地も、書や梅の木も生かすことができました。本当にいい設計にしていただけたと思います」
平成18年からスタートした三世帯の暮らしぶりは、ここ数年大きく変わってきました。孫たちが誕生したのです。長男夫婦の娘、次女夫婦の息子とも現在2歳。Kさんの居室に、毎日のように元気に遊びに来ます。皆でデッキや庭に集合してバーベキューなど楽しむ時間も、前以上に増えたといいます。釣り好きの長男が釣果を上げて帰ってくると、ちょっとした家族パーティもはじまります。「ふだんの生活は別々でも、おーいって声をかければ、皆すぐに集まるんです」。
Kさんは今年も庭に、たくさんの球根を植えました。春には孫たちにチューリップやムスカリの花を見せるのが楽しみです。ブラックベリーやプルーン、ブルーベリー……、おいしい実のなる植物も、どんどん増やします。
離れのギャラリーは、いずれ孫が大きくなったら子ども部屋にすることに決めました。展示している品々はしまいこむことになるかもしれません。けれども、幼少期から日常的に目にしてきた作品の素晴らしさは、きっと孫たちの心にも刻まれます。家をめぐる家族の物語は、こうして少しずつかたちを変えながら、次の時代へと引き継がれていくことでしょう。