対談

林業と家づくり

「伊佐通信 第9号(平成296月)」より転載
対談 林業と家づくり
木々を育て、管理する林業家と、
実際に木を使って家をつくる建設会社。
両者が手を結ぶことは、
ビジネス以上の大きな意味をもつ。
埼玉・秩父の角仲林業の山中敬久さんと
伊佐ホームズの伊佐裕が語り合った。
対談

多様な森の恵みを活かす林業と、
本質を求めた美しい家づくり

伊佐:山中さんと最初に会ったのは、ちょうど3年前の今頃でした。秩父の木を使うご相談で伺ったところ、山中さんは私にとって慶應の先輩で、義理のお兄さんは高校時代の先輩。ご縁が重なっていることがわかってきました。共通の知人も多くて、とても偶然とは思えません。しかも、私は会社を設立する前と家内を亡くした年に、秩父札所34箇所を歩いているんです。思わぬ運命の伏線が張り巡らされていたと思っています。

山中:伊佐さんとはずいぶん長いお付き合いのように感じますけど、まだ3年なんですね。

伊佐:東京のある方から、秩父に3Dで森林を計測したり、林道を整備したり、先端的な林業をしている方がいると聞いてお訪ねしました。その翌年には取引きを開始したのですから、速いペースで進みましたね。

山中:今はスギやヒノキの原木を市場に出しても、何十年もかけて育てた手間が出ません。再植林もできない。間伐した木を高値で買ってくれる人を探していたところ、伊佐ホームズさんが関心を持ってくださったというわけです。

住文化を取り戻す「美と経営」

伊佐:僕は元々、総合商社でデベロッパーをやっていましてね。20万坪の土地を開発して、建売住宅を一度に何十戸も計画するような町づくりです。でもそれでは一軒一軒になかなか魂が込められない。ならば、自分でやるしかないと思ったんです。

山中:伊佐社長と最初にお会いした時、私は今の日本の建築界は狂っているという話をしました。林業と関わりがもっとも深いのは建築業界じゃないですか。その建築界はどうなっているだろう、どうしてこんなに木材が安いんだろうと思いながら20年近く前に手に取ったのが、構造家の増田一眞さんの『建築構法の変革』という本でした。日本の伝統木構法が否定され、片隅に追いやられていく歴史が書かれていて、なるほど林業が衰退するわけだと合点が行きました。社長も日本の建築界はおかしいと思われてきたのでしょう。

伊佐:この秋には創立30年を記念して講演会を開くのですが、そのテーマは「森と住まいと私」。「私」を置いたところに意味があります。今、住文化が破壊されているのは、「私」の本当に一番大事な価値観を追いやり、市場経済が住宅まで及んできたからだと思うんです。たしかに今の家は便利で性能も高い。でも、心のよりどころとしての住まいはどうなったんだろう。そんな危機感があります。

山中:同感ですね。

伊佐:僕はお金儲けのために会社を始めたのではないんですよ。美と本質を追求して良きものをつくりたい、そのための仕組みをつくろうと思って動いてきました。元々が商社マンですから、広い視野が持てた。で、良いものをつくるには材料の調達が鍵になる。円滑な調達ができるよう、サプライチェーンの勉強を始めたのが10年前でした。そのうちに、日本の林業はとても疲弊していることがわかってきて、日本の木をできるだけ地産地消で使うべきではないかと研究するようになったんです。

カエデを植樹 山中さんと伊佐

上/針葉樹を伐った跡には、カエデを植樹。
下/山中さん(左)と伊佐。秩父の山本邸の地鎮祭の後で。

スギの森 原木1本1本に出自を示すQRコード

上/スギの森。枝を払い、下草を刈るなど、手入れしてこそ、上質な木材となる。
下/原木1本1本に出自を示すQRコードをつけて、製材後まで、強度や乾燥状態も含めて管理。

多様な森の恵みを活かす林業

山中:秩父の山は昭和40年ごろをピークに、じわじわと衰退していきました。うちも先祖から受け継いだ山で林業をしていましたが、それでは食べられなくなりました。昭和51年にキノコ栽培を始め、それで何とか生活できるようになったんです。キノコを始めてからしばらくは、あえて山を見ないようにしていましたね。見れば荒れた山に手を入れたくなりますから。平成12年に息子が戻り、キノコ工場を任せられるようになって、放っておいた山に行けるようになりました。

伊佐:山中さんは、緑と共生する社会づくりに貢献する人に埼玉県が贈呈する「本多静六賞」を受賞されています。地域の林業経営者のリーダーとして、間伐が遅れた放置森林の解消などに貢献されたからですね。お会いしてからは、組合でカエデの樹液生産もされていると聞いて、ますます関心を持ちました。

山中:秩父樹液生産協同組合は、いま一緒に活動している島崎君が、山でマタギに淹れてもらったカエデの樹液を沸かした紅茶を飲んだら美味しかったので、採り方を教えてもらったのがはじまりです。彼はNPO法人を立ち上げて、いち早く採取を始めていました。何年か経って、秩父に多いカエデの木を活かそうと、「一緒にやらないか」と声をかけてくれたんです。先にも言ったように、スギやヒノキを伐る林業は衰退している。一方で、山の生態系を豊かにしようと、針葉樹を伐った後に広葉樹を植える活動が全国に広がっています。でも、そのほとんどは経済性を考えていないから持続するのが難しいんです。樹液生産を行うことで、「伐る林業」と「伐らない林業」の相乗効果が見込めるのではないかと考えました。

伊佐:カエデの樹液だけでなく、古くから消化促進や抗菌作用があるといわれるキハダの製品開発にも取り組んでいますね。

山中:まずサイダーを開発し、次にボディーソープを商品化しました。カエデの樹液は冬にしか採れないのに対して、キハダは夏の土用の頃が旬です。2つを組み合わせることで、通年で伐らない林業に取り組めるようになりました。雑木と一括りに言うと利用価値がないように感じますが、一つひとつの樹種を見ていくと森は計り知れない恵みをくれます。

山と町を結びなおす

伊佐:うちの会社でもカエデの植林などのお手伝いをするようになりました。キハダ製品も応援したいと思っています。スギから始まって、どんどん広がっていくのが面白いですね。

山中:伊佐ホームズさんが市場価格の1.7倍の値段で原木を買ってくださっているおかげで、伐らない林業の継続性も見えてきました。

伊佐:高く買うためには条件を出させていただきました。当社が決めた選木基準に適合した特別に良い木しか買わないと。でも、調べていただいたら、山中さんたちが出してくれる木の過半数が基準を満たしていました。

山中:コンスタントに良い値で買っていただくことで、山は変わっていくと思います。これまでやりたくてもできなかった再植林や、針葉樹と広葉樹の混交林づくりといった山の改革が一気に進むはずです。

伊佐:秩父の三峯神社に行くと、参道にたくさんの石碑が立っていますね。そこに書かれているのは、江戸・東京の講が苗木を何万本も寄進したということ。築地市場などが、神社の森に植える木を寄進しているわけです。昔から町や海の人も山を大事してきたんですね。それは商売のためでもあったのでしょうけれど、水源である山は命の根源だということがわかっていたんだと思います。

山中:そうやって昔から連綿と続いていたことが、今は一時的に途切れているだけなのかもしれません。山と町を結び直したいですね。

山中敬久さん : 先祖は少なくとも4代前の江戸時代より、秩父大滝で林業を営んできた。昭和51年から、しめじ生産を開始、その後、ナメコ生産に転換。木材生産においては、作業道の整備、機械化、IT化を行い、放置森林の解消に尽力。広大な森林を守り続けている。林野庁長官賞、本多静六賞など受賞多数。

伊佐裕 : 若い頃から山登りが好きで、秩父の山にも登り、札所巡りも経験していた。平成28年度には、秩父市長より委嘱された「秩父市事業推進アドバイザー」をつとめた。廃校の利用、秩父銘仙のブランド化など、さまざまな方面から秩父と関わる。