伊佐通信12号
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 今から十年ほど前、ふと手にしたご著書『和なるもの、家なるもの』が社長と私を結びつけてくれました。既に車椅子生活となっていた私には一九四八年完成の旧居は不便極まりなく、新築を考え始めていた時期でした。社長は高校の後輩ということもあり、一読して家づくりにかける信念と情熱に共感、腹を固めて貴社の扉を叩いた次第でした。そこで紹介された設計担当者の大宅哲郎さんのご両親も後輩というばかりか、ご父君の実家は拙宅のすぐ近く、おかげで先輩風?を吹かせつつ、『バリアフリー』は言うまでもなく、『雨を楽しむ家』を創るべく、知恵を絞って頂きました。 完成した新居は庭に面した庇には敢えて雨樋を付けず、屋根を打つ雨音や滴る雨垂れに居ながらにして雨を識り、豪雨の際にはさながら名瀑を裏から眺めるかのような豪快な流れを楽しんでいます。また、野鳥集う庭を樹齢九十年の老桜が爛漫の花で彩る春と、七十年以上の二本の楓が赤と黄に染め分ける秋の風情は、雨景色と共に我が家の三名勝と密かに自負しています。 このような新居ですが、敗戦間もない物資不足の世にあって、建築家であった父が苦労して建てた旧居をすべて破却するには忍びず、床の間と書院の部材、及び六十年を経ても制作当時の堅牢さを保っていた書院と長押の障子は新居に移築し、旧居を偲ぶよすがとしています。 最後にひとつエピソードを。我が家の玄関には一羽のフクロウが首をかしげて来客を迎えています。この作者もやはり後輩で、下駄を履いて通学していたという女傑。美術部では社長の先輩に当り、伊佐ホームズに頼んだと言うと、「まあ、伊佐君とこに頼みんしゃったとですか。それに設計担当の大宅さんのお母さんは私の大親友で、彼は赤ちゃんの時から知っとーとですよ」ですって。このように母校がつないでくれた縁で完成した家ですが、さてこれから如何なる出逢いが生まれるか、楽しみなことです。堤 不可私(ツツミフカシ)小閑亭亭主1943年長崎県生まれ。68年から福岡市役所に勤務。85年の交通事故で全身麻痺に。車椅子生活ながら3年後に職場復帰し定年まで勤務。元寇で知られる鷹島生まれのせいかユーラシア大陸への憧憬やみがたく、09年までモンゴルから中央アジアまでを広範に旅行。現在は飛来する野鳥を友に、小さな庭の四季の移ろいを楽しんでいる。[平成25年竣工 六本松の家施主]外観。庭に集う雀たち。三名勝のひとつ、秋景色。来客を迎えるフクロウ。拝啓 伊佐裕様縁は異なもの伊佐ホームズで住宅をお建てになった方から伊佐裕にお手紙をいただきました。堤 不可私

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