伊佐通信12号
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伊佐ホームズからお知らせしたいニュースをお届けします。吉左右とは「よい知らせ」という意味です。20きっそう 伊佐裕が折に触れて読み返す『存在の秋』という本があります。著者は歌人の前登志夫(大正15年〜平成20年)。吉野の山中の暮らしを深い思索と広い視座で綴った随筆集です。 気がかりな一夜をすごし、夜明けの霜をふんで山の葬り処を訪れ、死者の血縁の者らと、まだあたたかい灰の中から骨を拾いあげる厳粛さと安らぎは言うにいえないものだ。 なきがらとはいえ、つい00の日のおのれの肉体を隣人に任せてしまわなければならないというところに、村という共同体のかなめの一つがあった。そして死の豊かさがあった。        「花鳥の奥に」「野辺の送りといって、昔は葬儀の後、村の人たちがみんなで、棺を埋葬地まで運んだといいます。松明を掲げた人を先頭に、白い装束に身を包んで。『死の豊かさ』…。そこに私は打たれるんです」 しかし。それに対して、いまのお葬式はどうでしょうか。ビジネス的になりすぎてはいないでしょうか。もっとも、地縁血縁が薄くなった現代、昔に戻るわけにもいきません。 そこで伊佐が思い浮かべたのが、秩父の森です。秩父地方には観音霊場が三十四カ所あり、これらを巡る「札所巡り」が江戸から続いています。伊佐も、夫人を亡くしたとき、静かな山の中にある寺を訪ね歩く旅をした経験をもっています。 東京に住む人であっても、秩父の森で葬儀を行うことはできないものか。親しい人だけでいい、一晩かけて故人とゆっくりとお別れをし、翌朝には苗木の植樹をする。思いを込めたそんな美しい葬送を、再び構築できないだろうか。 伊佐がこんな構想を、事業推進アドバイザーをつとめる秩父市の市長に話したところ、すぐに賛同を得ることができました。早速、「木霊の森・家族の森」プロジェクトとしてチームが結成され、動き始めたところです。「思いを話すと、みんなが協力するといってくれる」。伊佐はこのプロジェクトは自分がやってきたことの集大成だと言います。どうぞ応援してください。これからの時代、美しい葬送の姿をつくる秩父「木こだま霊の森・家族の森」が始動森では、大きな系のなかで、命が巡っていることを感じます。2019年11月16日に行われた「第5回 未来につなぐカエデの森づくり」。子どもたちと一緒に秩父の大滝の森に入り、森を知るお話会、木工加工体験を開き、カエデの苗木の植樹を行いました。伊佐ホームズではこのように、都市に住む人と森をつなぐ活動をさまざまな方法で行っています。

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