伊佐通信12号
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12こじま・ぜんざぶろう明治26年福岡生まれ。福岡県立中学修猷館3年のとき、絵画同好会を創立。明治45年、長崎医学専門学校薬学科に入学するが、中退し、画家を志して上京。大正10年、第8回二科展に初入選。大正14年、欧州留学の途につく。昭和3年、帰国。昭和5年、同志と共に独立美術協会を創立。昭和11年、代々木から国分寺に転居。昭和26年、荻窪にアトリエを新築。昭和37年、69歳で死去。日本人ならではの感性と世界に通じる普遍性を併せ持つ近代絵画の極9ギャラリー櫟くぬぎ20年を記念して、児島善三郎展を開催します。福岡県立修しゅう猷ゆう館かん高校美術部で善三郎の遠い後輩にあたる坂口寛敏さんと伊佐裕が、その魅力を語り合いました。伊佐 私は高校では剣道部も考えていたんです。でも子どもの頃から親しんできた油絵の匂いに惹かれて美術部の扉を開けると芸術家らしい雰囲気の先輩たちが並んでいて。坂口さんともそこで出会いました。坂口 善三郎が洋画家の中村研一らと絵画同好会を立ち上げて以来の伝統を持つ部ですからねぇ。伊佐 当時の部員で、その後芸術の道に進んだ人や建築、工芸、美術系の先生などは4割くらいになりますね。本気度は日本一と言っていい部でした。坂口 部では毎年、県立文化会館で修猷美術展というものを開催していました。これがすごい。50〜100号クラスの絵をひとり5点も6点も描くんですが、それを児島善三郎や中村研一、和田三造など日本近代美術史に名を残す大先輩方の作品と並べて展示する。非常に刺激を受ける場でした。伊佐 自分たちにつながりを持つ大家を知り、進むべき道が見えていった。また、博多の自然環境も影響した気がします。冬も湿度が高いんですよね。善三郎の絵もサッパリしつつもどこか湿度を感じます。東京藝術大学名誉教授であり、世田谷児童絵画コンクールの審査員長を務めている坂口寛敏さん。「自画像」 昭和21年

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