娘さん夫婦の居住スペース前にあるウッドデッキから、玄関ホールを望む今年(2006年)7月に竣工したK邸は、東京・世田谷の住宅街に位置し、敷地は東道路に面した正方形をしています。住居は、Kさん、長男ご夫婦、次女ご夫婦がひとつ屋根の下に住む3世帯同居型。敷地内のどこにいても、その存在を感じる白梅の老木と、対面にある「詩禅堂(しぜんどう)」と名づけられたギャラリーが、訪れる人に安らぎを与えてくれます。
3世帯同居型、梅の老木、ギャラリー。これらは一見、無関係に思えます。しかし、実に深い意味で結ばれているのです。
Kさんご一家が建替えを決意されたのは、昨年(2005年)の春。元は7人の大所帯だったのですが、Kさんが1人で住むことになったのがきっかけです。
70坪近い広さがあった旧K邸は50年前に建てられた後、増改築を繰り返したため、迷路のように入り組んでいました。掃除ひとつも一日がかりで、亡き義父が残した庭にも手が回らない。
そこで、独立していた息子さん夫婦、娘さん夫婦との同居を模索されたのです。
打ち合わせの際に使用した住宅模型。今も娘さん夫婦の下駄箱上に飾ってある私たち伊佐ホームズとの出合いは、瀬田ショールームでした。実はK邸とショールームがご近所にあり、散歩の折によくご覧になっていたというのです。
「あんな家で子どもたちと同居できたら、どんなにすばらしいだろう」
そこからKさんご一家と弊社のお付き合いが始まりました。設計担当者は、初めて旧K邸を訪れた時にこんな印象を受けたと言います。
「旧K邸は、敷地の北寄りに建つ総2階で、南西側に鬱蒼とした庭が広がっていました。いい佇まいの庭でしたので、この空間を生かす術はないかとまず考えました」
ご一家からは、お子さん2人が相続した土地を分割したり、3世帯がばらばらに住むようにはしたくないという要望が出ていました。設計担当者は、南西の庭をその要に位置付けようと考えたのです。
Kさんの居住スペースから庭を眺める。左手奥の玄関からの目隠しとして、格子の間隔を狭くしたところが打ち合わせを重ねるうちに、ご一家から、思いも寄らぬ要望が出されました。
「あの梅の木は、ぜひ残してください」
それは、KさんがK家に嫁いできた約40年前、すでに樹齢100年を越えていたという老梅でした。春にはうぐいすを呼んで、ご近所を梅の香で包み、夏にはたわわに実をつけ、葉陰が涼をもたらす、旧K邸の庭で、まるで主のようだった大木です。
ただKさんご自身は、梅の木に執着はありませんでした。残したい思いはあるが、新しい建物の邪魔になるなら切ることも止むを得ない。そんなお気持ちだったそうです。
「ところが子どもたちが、この梅の木は絶対に残さなきゃ駄目だと譲らなかったのです」
その言葉には、亡き祖父(Kさんにとっては義父)への思慕が込められていました。
Kさんの義父は高知県生まれ。同郷の書家、川谷横雲(かわたに・おううん)に弟子入りし、大日本書道院最高賞を受賞した高名な書家でした。戦後は東京で教育関連の役職を歴任し、定年後は創作活動に没頭。その傍ら、愛して止まなかったのが、自宅の庭でした。
「梅の木だけで7本、形のよい松も多数ありました。夜には7つもあった灯篭に灯りがともって、それはそれは見事なものでしたよ」(Kさん)
中でも樹齢150年の老梅は別格で、義父の書斎から、家族が集うリビングから、そして子ども部屋から、いつでも眺め、愛でることができたそうです。つまり梅の木は、お子さんたちにとって生活の原風景であり、祖父を思い出すよすがとなっていたのです。Kさんはこうおっしゃいました。
「嫁の私には厳格な舅でしたが、孫にとってはやさしくて、尊敬できる人物だったんですね。子どもたちが梅の木を残したいと言った時は、本当にうれしかったです」
二階から見たギャラリー(右奥)と梅の木。ギャラリー前の階段は家族の憩いの場所である設計担当者は、この話をお聞きして、新しいK邸の姿がくっきりと浮かぶのを感じました。
大きな梅の木を家の中心に据える。そうすれば、義父に見守られているような気持ちで、毎日の生活を営むことができるだろう。同時にそれは、他の部屋や隣家からの目隠しという機能も果たす。安らぎと安心。梅の木は新しいK邸にとって、根であり葉となるのだ。
こうして、「梅の木に守られた家」の原型ができあがりました。
( 後編 に続く)