エフエム世田谷「わたし歳時記」

「わたし歳時記」について

世田谷区をはじめ、杉並区、中野区、渋谷区、目黒区、狛江市などで聞くことができるコミュニティ放送局「エフエム世田谷」。

伊佐ホームズは、ここに「わたし歳時記」という番組を提供しています。これは毎月お一方にご登場願い、生き方・暮らし方をお聞きするというもの。

分野は各界に及びますが、いずれも自分の世界を築かれている素敵な方々です。

「わたし歳時記」番組情報

放送日

毎週木曜日 12:45〜13:00
《再放送》毎週土曜日 6:45〜7:00

周波数

83.4MHz

エリア外の方もインターネットで聴くことができます。
http://www.fmsetagaya.com

「わたし歳時記」今月のゲスト

2017年3月

2017年3月は佐藤正一さんです

シナジーメディア株式会社 代表取締役社長

過去の放送分を視聴できます

《対談》佐藤正一さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
第五週
再生
00:00
--:--

2017年2月 [第三週] 放送分

司会 :

これまでのゲスト

2017年2月

矢野弾

月刊「カレント」/株式会社潮流社 代表取締役

詳細を表示
2017年2月

2017年2月は矢野弾さんです

月刊「カレント」/株式会社潮流社 代表取締役

過去の放送分を視聴できます

社長 伊佐裕との対談 [第三週] は文字でも読めます

《対談》矢野弾さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
再生
00:00
--:--

2017年2月 [第三週] 放送分

司会 : わたし歳時記。この番組は伊佐ホームズのギャラリー櫟よりお送り致します。今月のゲストは月刊カレント 株式会社潮流社代表取締役 矢野弾さんです。そして今日は、伊佐ホームズの伊佐裕社長にも加わっていただきます。よろしくお願い致します。
さて、お二人はご出身が同じ福岡県でいらっしゃいます。矢野さんは3歳までということですが、実は福岡県人会の副会長。

矢野 : そうですね、恐ろしいことですねぇ(笑)

司会 : そして、伊佐社長も県人会に…。

伊佐 : はい、入っておりましてね。5年になりましょうかねぇ、矢野さん。

矢野 : そうですねぇ。

伊佐 : 矢野さんが県人会でご挨拶されたんですよ。で、私初めてお目にかかったんです。いや、お目にかかったというか、私は聴衆の一人ですよ。ただ、何人かのお話の中で格別のお話をされたんですよ。この方はただの方じゃないなと思いましてね。もちろんお名前は存じておりましたよ。で、是非、終わった後にですね「矢野副会長、今日一杯いかがですか?」というお願いをしたわけですよ。「そうか、行こうか!」ということで、ですね。渋谷の裏のほうのしみじみとした店に行ったわけでありまして。それ以来、こうやって師匠として私は崇めてお付き合いをさせて頂いてるという…。

司会 : 今、師匠というお言葉がありました。いろんなことを学んでいらっしゃる…?

伊佐 : 盛年らしい師匠といいますかね、ご年齢からいくと、相当のご年齢でおられるんですけれども、ますます盛年という感じですね。いかがでしょうか、矢野さん。

矢野 : 年は隠せないもので、85歳になりますね。で、その85歳ということを考えますとうちの父は66で旅立ちをしましたから、そういう意味においては、私は父をこれで大きく歩を踏み出すことができたんだなと思ってます。で、特に伊佐社長がもっている、このなんて言うのでしょうか、ちょっとこう寄ってこられる感じがですね、人の心をつかむのがお上手な方だなと思いました。それは話題の中で、その中から何かを自分がつかんだという形で提示なさるわけですね。そうすると、そのことに関しては共に考えたいという共感性を呼ぶわけですから、人の共感性を呼ぶこの人間学というのを持っていらっしゃるなあと。それが私の関心事になっていたと、言っていいんじゃないでしょうか。

伊佐 : いや、非常にありがたい言葉を頂戴しましたけれども、私はまた、矢野さんという方は、心底胸のうちというのがいつも青年隊のことを思っておられるので、そこの部分に私は甘えられるといいますか。一流の方というのはだいたいその部分が私はおありになるような気がしますね。だから自分が考えていいと思ったことは、その方にぶつければ、今矢野さんからおっしゃっていただいたようなことで道が開けるというか、アドバイスを頂けるということだと思います。特にご縁が深まったのも、私どもがやっております「世田谷児童絵画展」ですね。これが、初め、私の発想であったのですが、なかなか実現できなかったのですが、矢野さんの大変なご援助でやれたと思っておりますので、会社にとって大変な恩人であります。

矢野 : 特に児童展というのは、子供ですよね。子どもは未来の王子様、王妃様ですから、そういう意味においては、子供のことというのは絶対に忽せにしてはいけないなと。特に教育の問題でこれは言葉が過ぎるのかもしれませんが、子が親を殺す、親が子を殺す、そういう近親憎悪という形のものが最近特に多いものですから、これはもう、絶対、子どもということに関しては大事にしなければいけない。それは、大事にするということは、知らしめること、よらしめることだと、こう思ってるものですから、それで、それに手掛けるという方はなかなかの人だなと。そう思いました。ですから躊躇なく手紙を書いて、教育長にお便りをしたんですね。そうしたらそれがトントンと開いたようでございまして、うれしいことです。

伊佐 : もう3回絵画展があったのですが、これから将来の絵描きさんが生まれるかなと。それ以上に子供の絵の素晴らしさに我々が教えられるということが多いですね。

司会 : 矢野さんは、時代をバトンタッチしていかなければいけないんだということをおっしゃっていましたけれども、伊佐社長にも一つバトンタッチ、そして次の世代の子供たちにもという思いがおありですか?

矢野 : 伊佐さんは私、年の差を感じないんですよ(笑)。

伊佐 : いや先ほど、前回(2回目)の放送を思い出しておりましてね、ただ私利私欲じゃなくて、世の中のためになることともに経営があるという、本来経営というのはそういうことだと思うんですよね。共に成り立つというかな。私ども、今、林業との取組み、ひいては、それは森が守れるということなんですね。環境問題とかやっておりまして。そういう生き方がまた、非常にお客様と共感できるものがつながるというふうに確信しておりまして、大きな視野で経営していきたいなと私も思っております。

矢野 : ここ(ギャラリー櫟)の場所そのものが、そういう感性を充満させていますもんね。だからそういう意味においては、絵一つ、あるいは障子を見ても「あぁ、おぬし、やるな」という感じですよ(笑)。

司会 : 今、経営ということもお話が出ましたが、矢野さんは世田谷商人塾の顧問でもいらっしゃいます。やはりそういう意味では、世田谷も自分たちの手で温めてというようなこともお考えでいらっしゃるのでしょうか?

矢野 : これはですね、実は、千歳烏山の商店街があります。そこに私が講演に行ったんですね。その時の青年部長が桑島俊彦さんという方でした。で、私の話を聞いて共感をして頂けたのですが、いずれまた出会いをする機会があるのかなというふうに思っておりましたら、この方が世田谷商店街の会長になると。そういうことの中で、望月先生という、照彦先生が登場するわけですが、その方のお話を聞く会があって、私も出たのですが「あぁ、いいお話されるなぁ」ということで。その時に、桑島さんと望月さんの中で商店街の中の勉強会を作ろうというような機運が出ましてね。それが世田谷商人塾、ざっと現在11期生ですか。私当初から接点を持ちたいというんで、私の持ち駒1コマあるんですけど、全部に出てフィードバックしようということで、全部出ているんですね。これは、自分の出番はペイがあるんですけど、他はペイないんですよ。ただそれは自ら知るということがフィードバックの最大の原点なんですね。それが無かったら語れません。

司会 : こういうところも、伊佐社長、やはり学ばれるところですね。

伊佐 : 凄いですね。今のお話を聞いて、ますます、本当に矢野さんの…、なんでその…、矢野経済を作られた時のことと同じですよね。

司会 : こういうふうなお話をしていると、1回目はお酒の席というふうにお聞きしましたが、話もお酒も尽きることはないような気がいたしますが…。

伊佐 : そうですね、今2週間に一度はお会いさせていただいておりますでしょうかね。

司会 : さぁ、このご縁、これからお二人はどんな風にしていこうとお考えでしょうか?

伊佐 : 私にとっては、経営のありよう、また、大変私も世田谷の街の発展に関係しているものですから、いろんなことで矢野さんのご指導を頂いていきたいなと思いますね。

司会 : 伊佐ホームズも、もう世田谷で30年でいらっしゃいますものね。

伊佐 : そうですね。

矢野 : やっぱり生きるということは、要するに生かされるんだなぁと。その生かされる縁の中で、未来を考えるということが大事だなと。で、私は、点線面球の思考方法というのを自らの中に作ったんですけれど、その中で、最終的に絞り込むと3つになるんです。原理原則に戻れ、2番目は、歴史に学び、人間に学べ、と。3番目が未来に対する志を持て、と。未来に対する志を持たないとですね、ロマンが生まれないんですよ。ロマンが生まれないと、仮説が生まれないんです。仮説が生まれると、プランが生まれます。

伊佐 : おぉ。素晴らしい話ですね、矢野さんも。

司会 : これからもお互いに刺激をし合い、影響を受け合ってということですね。今日は、お二人のお話、楽しいお話でした。「わたし歳時記」今週のゲスト、株式会社潮流社代表取締役 矢野弾さん、そして、伊佐ホームズ・伊佐裕社長もお話して頂きました。ありがとうございました。

2017年1月

飯島祥夫

三軒茶屋銀座商店街振興組合 理事長・株式会社三恵 代表取締役

詳細を表示
2017年1月

2017年1月は飯島祥夫さんです

三軒茶屋銀座商店街振興組合 理事長・株式会社三恵 代表取締役

過去の放送分を視聴できます

社長 伊佐裕との対談 [第三週] は文字でも読めます

《対談》○○○○さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
再生
00:00
--:--

2017年1月 [第三週] 放送分

司会 : わたし歳時記。この番組は伊佐ホームズのギャラリー櫟よりお送りします。今月のゲストは三軒茶屋銀座商店街振興組合理事長 飯島祥夫さんです。そして今日は、伊佐ホームズの伊佐裕社長にも加わっていただきます。どうぞよろしくお願い致します。
さて、お二人は今日が初対面でいらっしゃいます。第一印象はいかがですか?

飯島 : いや、もう見るからにいい方だなという…。

伊佐 : そうですか?九州の匂いをたっぷりとつけていませんか?(笑) 私から見るとね、三軒茶屋の方というのは、私は博多なんですけどね、生まれが。おしゃれだなと思っています。

飯島 : いや~ありがとうございます。

伊佐 : 実際東京に来て三軒茶屋を知ってみますとね、おしゃれの奥に温かさがあるなという…、素朴さがあるなという…。まぁ東京の街でいえば、吉祥寺と三軒茶屋に非常にそれを感じますね。中野はもう少し雑然としているかな、三軒車屋と吉祥寺には、大変こう、山の手に近いところの温かさといいますかね、素朴さというか、感じますね。

司会 : どうでしょうか?飯島社長、今のお話。

飯島 : そうですね。ただ、私もう三軒茶屋生まれの三軒茶屋育ち、このまんまなもんですから、逆に素朴とか言われちゃうといかがなものかなというふうに思ってしまう部分もあるんですけど(笑) やっぱり渋谷だとか青山に憧れをもって育っておりますのでね、でもやっぱりそういうところが三軒茶屋の良さだなと…。

伊佐 : なんか肩を触れ合うような商店街というのが大事じゃないでしょうかねぇ。

飯島 : そうですね。

伊佐 : 実はね、私の生まれ故郷の、博多の私の家の前の通りも1.5キロ商店街が続いているんですよ。

飯島 : あら、すごい長い商店街ですね。

伊佐 : 1.5というと、日本の中でもなかなか珍しいようで。今回「サザエさん通り商店街」とうのに全体がなりましてね。長谷川町子さんのご生家の近くなんですよ。それと私もこの街の魅力として、大きな箱の中の魅力もあるでしょうけど、やはりこう平面の中の回遊する街の魅力というのは、やはり根本はそこだなと思いますよね。それに温かいということ、そしておしゃれだということかな、両方を求めますよね?

飯島 : そうですね。横道とか裏道に出ると新しい風景が広がって。で、次々とね、新しいシーンが生まれてくるというのは、やっぱり街歩きの魅力だというふうに思います。

伊佐 : 特に私は、街は路地が好きなんですよ。

飯島 : あ、路地はいいですね~。

伊佐 : 私はよく歩くんでね。表通りじゃつまらないんでね、裏側をこういろんなふうに様子を伺いながら…。

司会 : そうすると新たな発見があったり…?

伊佐 : そうですね、屋号だとか、暖簾にですね、奥が見えるわけですよね。飲み屋でしたら今度来てみようとかですね。本当にそれが好きなんですよ。

飯島 : 本当にいいと思います。ただ路地もやっぱり整備されていかないと、歩きやすさがないんですよね。まぁ、三茶の三角地帯はああいう状況で、混沌とした中にも面白さがあるんですけども、もう少し整備されたら、もっといろんな人が歩けるのになあというふうには思うんですけど。

伊佐 : 私は、国木田独歩の「武蔵野」だったでしょうか。あの頃のいろいろな武蔵野の風景の描写を読んで、それを読むと三軒茶屋という由来といいますかね、それと今の栄を思ったりしてですね。なんでしょう、農村地帯からあそこに人が集まってきて都市部との接点だったんだろうなというふうに思うわけですよね。

飯島 : そうですね。今でも三軒茶屋は、住んでいる方もいらっしゃるし、実際に働いている方もいらっしゃるということで、非常に不思議な感じの空間になっているかなと。もう働いている人だけ、遊びに来ている人だけというような、毛色の決まった街ではない…。

伊佐 : そこが面白いところですよね。全国に茶屋とかつく地名ってどうなんでしょうね。大阪に天下茶屋というのがありますよね。これ、恵まれた地名ですよね、町名というか。

飯島 : お花茶屋とかね、いろいろありますけども、やっぱり恵まれてると思います。

伊佐 : 大事なこう名前の由来を…大事にするとよろしいですよね。

飯島 : そうですね。で、地方から来た人が「三軒茶屋はどこなんだ?」って言われるのが残念だなと。

伊佐 : あぁ、そうか、ズバリね。そういう点ではないでしょうね。

飯島 : そうですね。だから、三軒茶屋の観光にはやっぱり「三軒茶屋」を、3つのお茶屋さんを作るというのが、ひとつ一番いいのかなと。

伊佐 : なんかルーツの復元のようなものがあるといいですね。それ欲しいですねぇ!

飯島 : 欲しいんですよ!是非伊佐社長のほうからもおっしゃっていただけたら(笑)

伊佐 : いやいや。建築的にも面白いですね、それは。時代の中で。

司会 : 社長、なんか今アイディアがこう湧いてきているんじゃないですか?

伊佐 : 浮かびますね。面白いですねぇ。

飯島 : そうですよね。幕末の頃から歴史の交差点ですから。吉田松陰さんのところがあったりとか、井伊直弼さんの菩提寺があったりとか。

伊佐 : 歴史散歩の出発点でもいいですよねぇ。

司会 : ますます三軒茶屋が楽しくなっていくような…お二人のお話を聞いているとそんな感じがしますが…。

伊佐 : いかんせん、私夜歩くことが多いので改めて昼歩こうと思います、これから(笑)

飯島 : 是非是非、よろしくお願いします。

司会 : 社長、三恵さんのお店の中は覗かれたことは、じゃあまだないですか?

伊佐 : あります、あります。夜のお店はあります(笑)
ただ茶沢通りにつきましてはね、よくこれだけ下北に向かって、非常に信用できそうなお店が並んでいるなと、堅実なお店が並んでいるなという感じが、車で通る度にいつもありますね。1軒1軒違いますよね。様子が違う。いい店でしょうね。信用が多い店が並んであるなというのが不思議に感じますね。

飯島 : ありがとうございます。本当にそういっていただけるとありがたい。昔からのお店が多いですね。ただ、今、やっぱり世代交代の時期に入っていまして、昔からの商売じゃなくなってきているところが多いのが残念かなあとは思っています。

伊佐 : まぁ、でも景観というね、よく我々、街の景観、美しくて近代的にすればいいというふうに思われがちですが、その中にやっぱり温かさとか、それがあって初めて成り立つのでね、そういう両方を両立したいですよね、街というのは。

飯島 : そうですね、やっぱり温かくなければね、一日過ごしていたいとは思わないですよね。

司会 : それと合わせて「安心・安全」というのは、この前もお話の中にもありましたけど、そんな街でなければということですよね。

飯島 : そうですね、やっぱり「安心・安全」は第一かなと。私どもでも防犯パトロールですとか、消防のカチカチみたいなこともやっておりますけれども、そういう日常的に顔見知りをたくさん作っていくというのが必要なのかなというふうに思います。それはイベントを通して、いろんな方と実際にお仕事を一緒にするとよくわかるので、そういうことをやって三軒茶屋の街を活性化していきたいかなというふうに思っています。

司会 : なるほど。あの、三恵さんは創業もう60年近く…?

飯島 : 62、3年になると思います。

伊佐 : 当社が今年で30年です。

飯島 : あぁ、おめでとうございます。

伊佐 : 半分ですね(笑)

飯島 : いや、とんでもないです。でも初代でいらっしゃるんですね。

司会 : どちらも長く地域に根差してということで、やはり何か目標にしてらっしゃることとか、心がけていらっしゃることがおありなんじゃないかと思うんですけど…?

伊佐 : 我々は建築をやるわけですけれども、その建築がそこに建ったので、街の景観とか変わったというようなきっかけになればなと思います。ただ美しいだけじゃなくて、お店でしたら流行る、繁盛する、そして何か変われるきっかけになればいいなと。実際、ある程度広い通りで、いい建物作ってきましてね、大変な高い評価を頂いていたりしているところもあります。

司会 : よくゲストの方にも、街を通っているとホッとするというふうなお話も聞きますが、三恵さんはいかがでしょうかね?

飯島 : やっぱりあの…そうですね、私どもとしてはお店が街の中の日常の中に入ってくれれば一番いい、そのままこう、ふ~っと入ってきて、あぁあそこにあるものを取って、で、レジ行って、ひゅーっと帰れるというような、もう日々の暮らしの中にうまくはまり込んでいけたら一番いいのかなというふうに思います。

司会 : 私もお店にお邪魔した時には、妙齢のおばさまと言っていいのでしょうか、ものすごい賑わいでした。だからおそらく三軒茶屋に来たら三恵さんに入って…というのがもう染みついているというか…そんな感じが致しました。

伊佐 : 定番のコースなんだ。

飯島 : 今、介護施設ですとか、ホームにも、ボランティア的に伺っているんですけども、「歩けたときは来たわよ。」というような方たちもいらっしゃるので、新入社員なんかはそういうところに行かせると感動して…結構疲れながら帰ってきます。いろんなお話を伺えるので…、またそれはそれでいいかなと、会社のためにもなるなぁというふうには思っています。

司会 : 本当に幅広く愛されているお店という感じですね~。

伊佐 : 客層がそうやって多世代に渡るということは、社員教育にはいいでしょうね。人生観が広がりますよね、それは。

司会 : 伊佐ホームズさんもやはりそういうところは意識されていらっしゃいますか?

伊佐 : そうですね、うちはもう全面的にお客様とお付き合いしないと、住宅の設計というのは出来ませんので、作る前、作るとき、作った後、20年以上もお付き合いしているわけですから、それは本当に社員が鍛えられますよね。私、社員教育はお客様にやっていただいているぐらいだと思います。それはすごい変わりますね、社員たちが。

司会 : それは、先ほどの飯島社長の話ともつながりますね。お客様とのつながりが、お店を、会社を大きくしていくということなんですね。

飯島 : 会社の社風が優しい感じがいいと思います、伊佐ホームズさんもねぇ。

伊佐 : うちは8時の掃除から始まるんです、皆で。これは一日も欠かしたことが無くて。これはいいですね。

飯島 : へぇ、やっぱりね、お掃除は重要なことだと思います。

伊佐 : 私、掃除の姿を見てね、本当に気持ちが入っているかどうかって見えますよ。これは他の会社さんの前を見てもわかります。腰が入っているかどうかっていうのがあります。それは何でも大事なことにこう、嫌なことでも入るかどうかっていうのが大事だと思いますね。いや、すべて嫌なことと思わないことが一番大事ですよね。受け入れるというかな。

飯島 : そうですね、やっぱり日常になっていないといけないですよね。

司会 : 今日はどうでしょうか、お互い刺激を受けたところもありますか?

飯島 : いやいや、本当に刺激を受けました。ありがとうございました。

伊佐 : 私は、先週、先々週とね、やっぱりイベントのこととか共感する方をいっぱい呼ぶというのは、大変勉強になりました。

飯島 : ありがとうございます。

司会 : これからまたますますつながりが出来てくるかと思いますが、今日はお二人ありがとうございました。

飯島伊佐 : ありがとうございました。

司会 : 今日は、三軒茶屋銀座商店街振興組合理事長 飯島祥夫さん、そして、今週は伊佐ホームズ・伊佐裕社長にお話して頂きました。ありがとうございました。

2016年12月

社長 伊佐裕 一年の総括

詳細を表示
2016年12月

2016年12月は社長 伊佐裕が一年の総括をします

過去の放送分を視聴できます

《対談》○○○○さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
第五週
再生
00:00
--:--

2016年12月 [第三週] 放送分

司会 : ?

伊佐 :

ゲスト伊佐 :

2016年11月

外山京太郎

群馬県利根郡川場村 村長

詳細を表示
2016年11月は外山京太郎さん

2016年11月は外山京太郎さんです

群馬県利根郡川場村 村長

過去の放送分を視聴できます

社長 伊佐裕との対談 [第二週・第三週] は文字でも読めます

《対談》外山京太郎さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
再生
00:00
--:--

2016年11月 [第二週] 放送分

司会 : わたし歳時記。この番組は伊佐ホームズのギャラリー櫟よりお送りしています。今月のゲストは、群馬県川場村 村長、外山京太郎さんです。よろしくお願い致します。そして今週・来週と2週に渡りまして、伊佐ホームズ・伊佐裕社長にも加わっていただきます。社長、よろしくお願い致します。まず、お二人はどんなふうに出会われたんですか?

伊佐 : いやー、まだ村長とはね、今日まだ3回目なんですよ。しかしながらね、本当に尊敬する兄弟と会ったような…年齢はね、私のほうが上なんですがね、村一筋に生きてこられた村長のお姿が、なんでしょうね、旧来の友というか、旧知の友という思いがしますね。きっかけは、世田谷区からのご紹介で、オリンピックに備えて、アメリカの選手団のホームタウンに世田谷区がなるということで、ついては提携している川場村にも、選手団等ご案内したいということで、そこでいろいろな日本文化を表現したいということで、建築的な相談もしたいということで、世田谷区のほうから川場村さんを紹介頂いたと。そんなことでしたね。

外山 : はい。

司会 : 村長はいかがでしたか?伊佐社長の第一印象は?

外山 : 本当に、まだ期間的には短いんですが、いままでやったことを考えるとですね、それぞれ、私が川場村の一本の木であって、社長が世田谷区の1本の木であったんですが、木と木が合わさって林になって、もうまもなくそれが森になるような話がですね、短いんですが、深くそういう話に盛り上がっているというとこだと思います。

伊佐 : 私はね、高校の入学、今から50年前、ちょうど今有名な大分県の湯布院。そのころ駅前はお土産屋さんは2件くらいでした。もう閑散とした田舎の温泉場でした。私は高校入学前に、春休みに行きましてね、なんと素晴らしいかと思ったんですよ。今から50年前に。なんでしょうね…、見た瞬間にそういうのがあるんですね。それはやっぱり日本人の心の中にある「風景」があったと思うんです。今回、私が川場に行って思い出すのは、湯布院での感覚に似ているんですね。そして、なんでしょう。人は少ないですよ、村に、川場さんも。しかし、生き生きとした村というのはわかりますよね。やっぱり田んぼの作り方ひとつとっても、心が入った田んぼというのは美しいなと思いますし。どこか投げやりなところは、田んぼの苗の並び方が荒れているんですよ。私ね、絵を描くものですから、山には田んぼがあると近景がいいんですよ。田んぼがあって初めてね、日本の風景だなというのがありましてね。四季折々、春先の早苗から始まって、あるいは、山の稜線が田んぼに映るのもいいし。そういうこともあって、直感的に、川場に行って大変なファンになりました。

外山 : ありがとうございます。本当に嬉しい話でございまして、そういう中で、やはり社長が、昔見た、生まれ育ったところと川場が変わらないというとこなんだと思いますが、そういう中で、川場村はですね、関東圏内で52市町村が世田谷区との(縁組)協定に手を挙げて。で、川場村が選ばれたわけですが、その理由が「何もない川場」というとこですから、やはりそれを守っていかなければならないと思っております。

伊佐 : しかし、今思いますと、理想的な「結婚」をされたなという気がしますね。

外山 : はい、そうですね。

伊佐 : そうですよね。いや、私はね、小さいころ母が忙しいので、夏休み・冬休みは、母の実家が農家なので、そこに行きますと楽しくてね。魚とりは出来るし、昆虫採集は出来るし、私にそれがなかったら、たぶん、なんでしょう…。自分の滋養分が育たなかったかなという気がしましてね。足りないことが出来たというか…そういう点で35年前に、世田谷区にとって足りない部分を川場に求められたというのは凄い発想ですよね。

外山 : それが東京の中でもやはり世田谷区というのは違うのかなと思います。

伊佐 : 鈴木(忠義)先生ですよね、初めのこう…。

外山 : そうです。もう鈴木先生がやはり川場村を見出していただいて、また、川場村のいいところをどんどんどんどん…ひっぱっていただいて、今日まで育てていただいたと思います。

伊佐 : 凄い仲人役というか、推進役がいらっしゃったわけですよね。私もこの前お会いしましたけれど、92歳で、お元気お元気で…。まだ現役の学者さんですね。

外山 : もうあの先生が全国の中でですね、要するに都市工学等いろいろの中で、やっぱり川場の素晴らしさをずっと思っていただいたんだと思います。

伊佐 : だから、鈴木先生のお元気さも、そういう良き仕事をされて、良き風景をお持ちだということなんですね。

外山 : そうです。鈴木先生自体がもう30数年、川場(ふるさと公社)の社長をやっていられて、そういう中で、川場の、我々にですね、ないところを伝えていただいたんだと思います。

伊佐 : でも、そのふるさと公社をお作りになったところで、やはり、結合したものがあったというのはまた大きいですね。

外山 : そうですね、はい。

伊佐 : 気分的な友好関係ではなくて、やはり一つの形があるというのは、大きな魂が宿ってきますよね。

外山 : 今、全国の中で、いろいろな形で都市との交流はあるのですが、川場は世田谷と、要するに「結婚」をしたということですから、他よりも、より絆が強いということなんですね。

伊佐 : 本当にそう思いますね。皆さんのやりとりを聞いてもそう思いますね。心許した者どうしの…、行政の方どうしの話が非常にお互いを認め合ったご発言が多いですよね。

司会 : そのさらなるバージョンアップを目指して、共同声明も発表されたと聞いておりますけれど…?

外山 : はい、56年に縁組協定をしてですね、節目節目にいろいろな形で、また確認行為をやっているんですね。そういう中でちょうど今年は35年を経過しましたので、今度はエネルギーについて、川場村と世田谷がいろいろな形で協力をしようということで、また協定を結びました。今、世田谷区もですね、自然エネルギーのほうに移行しておりまして、そういう中で川場村も今度はバイオマス等を使ってですね、要するに木を使った形での新しいエネルギーを使おうという中で、世田谷と今後いろいろ検討しようというところであります。

伊佐 : まさに、時代が必要としていることを前もってされているなと思いますね。
しかし私も、会社を創業して約30年になりますが、世田谷でしてよかったなと思いますね。本当に私も、仕事が世田谷で育てられたなという思いもしますし、こうやって、こんな同志とのご縁を頂戴した喜びでいっぱいですね。

司会 : 今、伊佐社長から世田谷に来てよかったというお話がでましたけれど、外山村長からご覧になった世田谷の魅力…どんなところでしょうか?

外山 : はい、当時はですね、川場村が、人口が4千人、世田谷区が80万人だったんです。と、格差がちょうど200倍ございまして、よく言われたんですが、世田谷区の職員がちょうど4千人くらい。そういうなかで、川場の村民と世田谷区の職員が同じ規模だという中で、いろいろな人がおられたというところがひとつある、また、世田谷の公立の小学校5年生が必ず川場に来ていただいた…これがやはり大きいことだと思います。

伊佐 : 私もね、子供が5人いました。上のほうはもうだいぶ大きかったので行ってないですが、下二人は川場へ。私も非常に川場の名前は残っていますよね~。授業で行くというのは大きいですね。

外山 : そうなんですね。ですから、お父さん、お母さんは川場を知らなくても、子供はですね、2泊3日で川場に来ていただいているものですから、川場で食べたあれが美味しかった、これが美味しかったと、そういうふうに言っていただけるので、それが大きな財産だと思います。

司会 : 外山村長ありがとうございました。今日は伊佐社長とお話を頂きましたが、お二人まだまだお話し足りないところがあるように思います。来週も引き続き、お二人の対談をお送りしたいと思います。わたし歳時記、ゲストは群馬県川場村・村長、外山京太郎さん、そして伊佐ホームズ・伊佐裕社長でした。おふたり、どうもありがとうございました。

外山伊佐 : ありがとうございました。

2016年11月 [第三週] 放送分

司会 : わたし歳時記。この番組は伊佐ホームズのギャラリー櫟よりお送りします。今月のゲストは、群馬県川場村 村長、外山京太郎さんです。よろしくお願い致します。そして、先週に引き続き、今週も伊佐ホームズの伊佐裕社長にも加わっていただきます。よろしくお願い致します。さて先週、お二人の出会いからお聞きしました。原風景、いろいろなところでお二人の共通点があったように思いました。

伊佐 : そうですねえ。村長、「雪ほたか」の苦労話を改めてお聞きしたいですね。

外山 : はい。この川場の「雪ほたか」はですね、全国米食味コンクール(全国米・食味 分析鑑定コンクール)の8年連続金賞をとって。昨年は1年お休みしたんですが、必ず今年は9年目の金賞がとれると自負しているところでございますが。やはり少ない耕地の中で、川場村は一生懸命米作りを昔からやってたんです。そういう中で、ブランドを作りたいとうことで、前村長が心血を注ぎまして「雪ほたか」が誕生したというところだと思います。

司会 : 本当に米は原点ですよね、風景的にも田んぼが原点だと思いますし、うらやましい話ですよね。

外山 : やはり農業にとっては米を作るというのが、原点の農業であり、美味しい米、これを追及するのが、農家の夢だと思います。

伊佐 : あのー、水が大事でしょう、村長?だから素晴らしい環境の証明なんですよね、美味しいお米というのは。

外山 : そうです。ただ、水があるということではなくて、やはり美味しい米を作る美味しい水を作るにはですね、きちっとした山があって、山から湧き出る美味しい水にならなければならないと思います。

伊佐 : 私も建築業からだんだん林業の問題に関わりましてね。山の方たちと会いますとね、非常に自然環境の問題に対して皆さん研究されていて。ある人は川の魚釣りから始まって、いかに森林が荒れたかを知って林業に取り組んでいる仲間がいますけれども、本当に森林と環境の問題って大きいですね。

外山 : そうなんですね。やはり魚であり、また動物であり、いろいろな形の中で、生きうるものが、山と自然に携わりながら生きているというのがありますから、それがやっぱりバロメーターにもなるかなと。

伊佐 : そうですね~。やはり羨ましい話ですね。あと、川場の木材、杉が中心だと思いますけど…。

外山 : はい、もう世田谷と交流を始めて35年経ったということは、35年前に植えた木も、もう間伐の時期に入っているということなんだと思います。一度人間が苗を植えて手を携えたものは、その木を切るまで、いろいろな形で手を携えていかなければならない、と言われているんです。昔から「山の肥やしは人の足あと」だと言うんですね。木を育てるには、一回でも多く山の中に人が入ることがいい木を育てる、これが昔から言われたことなんですね。

伊佐 : あーいい話ですね、肥しですか。でも、世田谷でも川場の木を使った家が建つとよろしいですよね。そのへんの今までの動きというのは…。

外山 : はい、前ですね、世田谷区のほうは、公園ですとか、公共施設を作るときに、設計の段階で、川場の木を使用というのを設計書に入れていただいていたんです。そういう中で、公園のベンチがあったり、公共施設の中で、若干ですが、川場の木を使っていただいたというのが、かつてあったんですが、それをまた復活をしてですね、今後世田谷区でも、学校を建て替えたり、区の施設を作るというような話が非常に多くなってきましたので、そういう中でどんどん川場の木をつかっていただこうということで、今、一生懸命営業しているところでございます。

伊佐 : じゃあ私もそれをお手伝いしたいですね。子どもたちにとって、木で育つということは大きなことで、大変精神的にも医学的にも落ち着くそうで、授業の内容も変わってくるというふうにデータも出ているようなんで、大事だと思いますねぇ。
村長、ちょっと私の話をいたしますがね。私の古き友人が家具のデザイナーなんですが、今回の東京オリンピックの件で、国から呼ばれてですね、いろんな椅子、家具を作ってくれということで。彼は、大変意気込んでいましてね、全国の木の産地に、プラス職人、その職人のオリンピックだと。それぞれの各県の木の良さ、そして職人に出てもらって、オリンピックをしたいと意気込んでいましてね。今回のイベントをきっかけに、そういうことが起こるかもしれませんねぇ、いろんなことが。

外山 : まさしく、それは技能五輪につながることなんだと思うんです。やはり技術だとか、そういうものは、やっていることによって語り継ぎであったり、また技術を伝承するということがありますから。どんどん更新をしなければならないと思いますね。

伊佐 : ちょうど世田谷区さんから、今回川場村さんをご紹介頂いたきっかけも、当社がお茶室をよくやっているということを、世田谷区の方が耳にされてのご紹介だったんです。お茶室というのも、本当に技能の伝承なんですね。現場がないと、なかなか伝えることが出来ない…幸いうちはそういうことが多いものですから、そのご縁なんですね。

外山 : まぁ、なかなか最近の建築は、木を使わなくなったり、昔でいう床柱を使うところを使わなかったり…そういうのが増えてきたもんですから。それはまた原点に戻して、そういったものを使うような建築をしていくと、また林業がより活性化になるかなというところだと思います。

伊佐 : 私はやはり人が家を作りますがね、家がまた人を作ると思っておりましてね。私はそれを確信しておりますので、豪華な家じゃなくてもいいから、本物の材料で家を作るということが大事だと思います。

外山 : そういう中で、世田谷区の中でも、子供さんが育つ教室に、川場の木材を床であったり、壁であったり、机であったり…そういうところで使っていただくと、より子供が安定してすくすくと育つ、そういう環境が整えられると思います。

伊佐 : デザインが画一じゃないですよね、木の目は全部違いますよね。あそこに多様性があるんですね。一人一人違っていいんですよね。そこで落ち着きが出てくると思うんですよ。単なる真っ白だったら非常に不安定だと思いますね。心の折りようがないというかな。それが木目というのは不思議な安心感を持たせますね。

外山 : 木も一年を通じてですね、特に川場なんかは、冬には1メートルも雪が降るわけですから。春夏秋冬と四季の中で、それがちゃんと、木の年輪・木目に表れるわけですから、それを一つの板にしても、やはり社長が言うように、ひとつひとつ全部違うんですね。そいうものを、見ながら、使って、育つということが必要だと思いますね。

伊佐 : ある大学の先生が、今度のオリンピックを機会に、木の文化を「KIAJI」、日本語の「木味」をローマ字で表記して、世界に広めたいという願いを持ってましたね。まったくそうでしょうね。いいチャンスですから、いろいろなことで、我々木の文化、日本人の心、デザインを表現したいですよね。それが地方の結びつきになると思いますね。

司会 : あの、川場村では「ニュータウン川場」の宅地分譲にも乗り出していますけれど、そのへんも「木」ということを意識されていらっしゃるのでしょうか…?

外山 : はい、区画は100坪がだいたい14区画なんですが、川場に家を建てていただく方はですね、まぁ出来れば、子供を育てる世代の人たちがですね、作っていただくと、いろいろな形で補助金を出す、要するに軽減措置をもってですね、で、また家にもですね、川場の木を使っていただければ、またそこに杉の柱を100本差し上げるとかですね、環境に配慮した色合いを使っていただくとか…いろいろな形で補助制度を作ってですね、家を作っていただければということで願っておるところです。

伊佐 : また近いですよね、川場村は。インターから出て15分くらいですもんね。

司会 : どうでしょう、伊佐社長でしたら、川場村にどんな家を建てられますか?

伊佐 : やはりですね、山の稜線とか田園を見ながらすると、あまりデザインしなくても穏やかな形が出てきそうなので、どうでしょうね、人間があまり考えついたデザインではなくて、あそこの風景が生み出してくれると思いますね。

外山 : そういう中で、川場村で育った杉であり、松であり、欅であり、桜であり、いろいろな形の木がありますので…。

伊佐 : 松もありました?それは、ジマツ?アカマツ?

外山 : 松もあります。アカマツですね。昔でいうと、アカマツも、梁材は弓なりに曲がった梁を川場のほうでは昔は使っていたんですね。そういうものをやはり使うような建物があればまたいいかなと思います。

伊佐 : 今、川場で現存している一番古い建物というのは、築年数でいうとどのくらい…?

外山 : 300年…。

伊佐 : 300年ですか?お住まいになっている、まだ?

外山 : ええ、住んでおります。なかなか今、萱の家を継承するのが難しいのですが、そういう中でも、そういう家が1、2軒残っております。

伊佐 : 今度また見たいですね。

外山 : けっこう夏は涼しく、冬は暖かいというところなんですね~。

司会 : ありがとうございました。今週も伊佐社長と外山村長に熱く語っていただきました。ゲストは群馬県川場村・村長、外山京太郎さん、そして伊佐ホームズ・代表取締役社長、伊佐裕さんでした。おふたり、ありがとうございました。

外山伊佐 : ありがとうございました。

2016年10月

世田谷児童絵画コンクール特集

詳細を表示
2016年10月は世田谷児童絵画コンクール特集

2016年10月は
世田谷児童絵画コンクール特集です

伊佐ホームズが主催し、2016年で3回目を迎えた世田谷児童絵画コンクール。今年も素晴らしい作品が多数集まりました。

そこで、10月の「わたし歳時記」もこのコンクールを特集。下記のような内容でお届けします。どうぞお聞きになってください。

10月06日(木)

「絵画コンクールへの思い」伊佐裕(代表取締役社長)インタビュー

10月13日(木)

入賞した子どもたちの声1

10月20日(木)

入賞した子どもたちの声2

10月27日(木)

対談「世田谷児童絵画コンクールの審査を終えて」
審査委員長・坂口寛敏さん(東京藝術大学教授) × 伊佐 裕

過去の放送分を視聴できます

《対談》○○○さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
再生
00:00
--:--

2016年10月 [第四週] 放送分

司会 : ○○○○○○○○○○○○○

伊佐 : ○○○○○○○○○○○○○

2016年9月

飯田永介

株式会社岡永 代表取締役

詳細を表示
2016年9月は飯田永介さん

2016年9月は飯田永介さんです

収録の合間、この時期にお薦めの日本酒をお尋ねしました。
「秋からの冷やおろしでしょう。一度しか火入れをしないので、日本酒が瓶の中で熟成されるんです。晩秋の頃には、また違う味を楽しめますよ」
日本酒の美肌効果でしょうか、血色の好いお顔でにこやかにお答えくださいました。

日本酒が特級、一級、二級と味気ない分類をされ、地酒が今ほど注目されていたかった頃、“良い酒を佳い人に”をコンセプトに先代が「日本名門酒会」を発足。その後も良質な酒造りをしている蔵元、酒販売店、加盟店、日本酒愛好家らと共に、熱意をもって民族の酒、日本酒の裾野を広げようと精力的に活動していらっしゃいます。
株式会社岡永の飯田永介社長にお話しを伺いました。

[ プロフィール ]
明治17年創業の株式会社岡永代表取締役。“お酒のある豊かな暮らしと食文化をプロデュースする”を企業理念とし、酒類および食品卸売業を営む。昭和50年、「日本名門酒会」を発足。おいしい日本酒の革新と発展、日本文化の継承など、思いを同じくする全国の蔵元、酒販売店などと連携し、日本酒の価値と市場を創造し続けている。

過去の放送分を視聴できます

社長 伊佐裕との対談 [第四週] は文字でも読めます

《対談》飯田永介さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
第五週
再生
00:00
--:--

2016年9月 [第四週] 放送分

司会 : わたし歳時記。この番組は伊佐ホームズのギャラリー櫟よりお送りしています。今月のゲストは株式会社岡永 代表取締役社長の飯田永介さんです。そして今日は、伊佐ホームズの伊佐裕社長にも加わっていただきます。よろしくお願い致します。
伊佐社長と飯田社長の出会いというのは、いつぐらいになるんですか?

伊佐 : かれこれもう13年にはなると思いますね。あの、永介さん、社長のお父様、博さまとおっしゃるんですが、この方とのご縁が始まりでした。それで会長は去年の9月26日でしたか、他界されました。見事なご一生を送られましてね、私は人としても、経営者としても、誠に尊敬申し上げていました。わが父のようにですね、尊敬申し上げて、勝手ながら。そんな方のご長男で、こうやって亡くなられた後も交流を続けております。やはりお父様を介してですね、経営の思いといいますか、そして私も大変酒が好きなものですから、特に日本酒は。その中で折々杯を重ねてですね、今日まで来ていますね。

司会 : 日本酒について、いろいろ教えていただくようなこともおありなんでしょうか?

伊佐 : そうですね、飲み方の始まりは温かいやつがいいよと。お腹を温めて冷酒に行ったほうがいいよと。今でも実践して…どこで私は燗酒から冷酒に切り替えるかが、分岐点が難しくてですね、結構燗酒のまま走ってしまっていましてね…(笑)

飯田 : おぉぉ~。そうですか。

司会 : 覚えておいでですか?

飯田 : いや~それはすばらしいですね。

伊佐 : 永介さんね、今までの3回のお話を聞きましてね、お父様が有名ブランドを辞めて、素晴らしい日本の地酒に目を持っていかれて、そして価値を共有する販売店を作って、事業をされてこられたというのはね、私も日本の木を使った良い建築をやろうということでやっております。その中で価値を共有するグループが連携してやっていったら、それだけ世の中に伝わるかなと思ってですね。常々そのやってこられた道が私にとって今の事業のお手本なんです。

飯田 : ありがとうございます。

伊佐 : 今、林業が大変衰退していましてね、一年間に1億立米という成長をしているんですね。これエネルギーは0で成長しているんですよ。で、その木を日本で使っているのは2千万立米、8千万立米がまさに伸びっぱなしなんですね。自然界もやはり手入れが必要で、伐採していった方が循環するわけでありまして、もっと国産材を増やしたいと思って。そういうことでいくと、大変、日本の文化、地酒・日本酒を大事にしてこられたという経営思想はですね、私の本当に導きなんですね。去年のご他界は私にとっても大変痛烈な悲しみでありました。

司会 : 飯田社長、いかがですか?

飯田 : いやー、あの、ありがとうございます。会長に対する伊佐社長の思いというのは、ずっとお聞きしいていましたけど、こういう形でいつもおっしゃっていただくのが何よりのありがたいことでございまして。私は私で伊佐社長のやっておられることを、とてもすごいなと思っておりましてね。経営者として尊敬申し上げていますし、親というか、兄貴ですかね。兄貴のような、そんな感じでいつもお慕い申し上げています。

伊佐 : 永介さんもラグビー好きですよね。私もラグビーやっていましたのでね、体型も似ていますね。まぁ、永介社長のが都会的ですが(笑)

飯田 : いえいえ(笑)

伊佐 : 私、ラグビーも経営だなと思うんですよ。ひとりひとりがぎりぎりのプレイをしてチームに返していく。個人がどこまで吐出してそれがチームに返していくという…。単独で出すぎるとチームプレイにならないのでですね。本当、チームと個人の調和というのが経営だと思いますので、戦略も必要ですよね。

飯田 : そうですね。

伊佐 : まさに名門酒会さんには、その戦略があって、戦術があって、実践があるという…本当に私が目指したい会社の姿ですね。

飯田 : …ちょっと、過分なる言葉で(笑)

伊佐 : いやいや。永介さんね、私は博多の生まれですよね。ちょうど博多も、なかなか商売を考える人間たちが多くて、食品業界では、ラーメンの一風堂の河原くん、それからふくやの明太子の川原さん、それから、今あごだしで有名な茅乃舎の河邉社長。大変身近にそういう仲間がいますのでね、やっぱり我が価値をどう伝えていくかということは同じなんですね。

司会 : 九州パワーを感じますね。飯田社長はずっとご出身から東京でいらっしゃいますか?

飯田 : ずっと東京です。

司会 : 九州に負けられませんね。そのへんのところはどうですか、お酒を飲みながらでも、そういったパワーを感じられたりとか、そういう何か影響を受けられることっておありなんでしょうか?

飯田 : そうですね。伊佐社長のさっきの木の話とかね、木材の話とか、山の話とかというのはとても重要な話で、何て言いますかね、地位経済をどう循環させていくかということか、それをどう都会とつなげていくか、というのは同じテーマなんですよね、僕ら。それが出来ない限り、もう日本はだめだと思いますから。地方創生ってね、今言っていますけど、言葉だけが踊るようでは話にならなくて。やっぱり現実的な地域経済をどう…、ローカル経済をどう循環させていくかという具体的なことがないと始まらないと思うんですよね。

伊佐 : 森がなくなったら水もないですからね。

飯田 : その通りですね。

伊佐 : まさに環境がダメになりますからね。

司会 : お酒を飲みながら、お二人そんなことを実は考えていらっしゃったり…?

飯田 : いやいや(笑)

伊佐 : いや、ただ味に酔い、人の心に酔いで、そういうことは考えていません(笑)

司会 : でも、お酒というのは「呑みニュケーション」という言葉もありますけれど、本当にいい効果を生み出してくれますよね。

伊佐 : 私もですね、自分の覚悟としてね、悪い酒は飲みたくないな、いい酒だけを飲みたいなって。自分の人生が悪い時もね、飲まずに自分で胸の中におさめたいな。酒を飲む以上はね、これをね、楽しくしなかったら申し訳ないなというのが、ある時からの信念としてありますね。いや、いつもいつもそうではないかもしれませんがね。やっぱり飲むと自分の可能性を広げますよね。あるいは人間のだらしなさも含めて。こんなに崇高なことを考えるかなっていうこともあるし、情が深くなるし、あるいはだらしないところもある。その幅を知った時にもう一回日常の中で少し是正されますね。飲まないとね、自分が見えてこない。飲むと自分の善し悪しがいっぱい見えてくる…それをまた自分で持ちながら生きていくというかな…。私は、本当に酒は凄いなと思いますね。

司会 : 飯田社長が応援していらっしゃるお酒の世界は凄いですね。

飯田 : いやー、ありがとうございます。今の伊佐社長の話は深いですね。うーん。それに応えられるようなしっかりとしたお酒を提供しないといけませんね。

司会 : お二人とも共通して考えていらっしゃるのは、やはり日本文化ということが大きいですね。

伊佐 : 結果としてそうでしょうね。私は仕事の話をしながら、人生の味わいを感じるのは、やっぱりお酒ですね。

飯田 : そうですね、まぁ仕事がお酒なので、そこのところは途中でごっちゃになったりするんですけど(笑)
でも、本当にそのことはやはりありがたいなというふうに思います。そのことを生業とさせてもらっていることは、本当にありがたいことだなといつも思っています。

伊佐 : それと私、酒の味でね、建築のこう、いろんな味わいを語るんです、社員に。濃いとか、薄いとか、薄くても奥が深いとか。薄いというのは、味が薄そうに感じますが、薄くて深いものがある。我々はやっぱりさっぱりしながら深いものを表現したいなって。濃いから建築がいいな、高価だな、じゃなくて。なんでしょうね~、食文化と美意識は近いところにあるなというのを感じますね。表現しやすいというかな、食を語ったほうが表現しやすい、その広さというのかな。

司会 : わぁ、今日はとっても奥の深い話を聞かせていただきました。伊佐社長ありがとうございます。飯田社長には次週もまた語っていただくのですが、今日の話をふまえて、ますますいろんなお話聞けそうな気がしてきましたので、ぜひよろしくお願いします。
今月のゲストは株式会社岡永 代表取締役社長の飯田永介さん、そして、今週は伊佐ホームズ代表取締役社長・伊佐裕さんにもお話して頂きました。どうもありがとうございました。

飯田伊佐 : ありがとうございました。

2016年8月

清水健二

天道流合気道「天道館」管長

詳細を表示
2016年8月は清水健二さん

2016年8月は清水健二さんです

「合気道は、競い合うことをしないんです。だから試合はありません」
清水健二さんは、柔和な面持ちで静かにおっしゃいました。
合気道の開祖、植芝盛平翁の最後の内弟子で天道流合気道「天道館」管長でいらっしゃいます。

連日報道されるリオオリンピック。
各国の代表選手が、より早く、より強く、より高くとメダル争いに躍起になる中、“己に克つ”ことが天の道理と説く天道流合気道とは?
スポーツとも格闘技とも異なる日本の武術を、清水管長に大いに語っていただききました。

[ プロフィール ]
1940年福岡県嘉穂郡生まれ。13歳より柔道を始め、大学卒業後、合気道開祖・植芝盛平翁の最後の内弟子として修行。高段位8段を許される。1969年、清水道場として独立、後に「天道館」と改名。国内での指導はもちろんのこと、毎年世界各国に合気道の指導に赴いている。平成14年度には、海外での合気道普及を通じた国際交流活動が認められ、外務大臣表彰を受賞。幅広い年齢層の門人たちと、日々心技を磨いている。

過去の放送分を視聴できます

社長 伊佐裕との対談 [第三週] は文字でも読めます

《対談》清水健二さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
再生
00:00
--:--

2016年8月 [第三週] 放送分

司会 : わたし歳時記。この番組は伊佐ホームズのギャラリー櫟よりお送り致します。今月のゲストは合気道 天道流 天道館 館長 清水健二さんです。そして今日は、伊佐ホームズの伊佐裕社長にも加わっていただきます。よろしくお願い致します。
あの、社長。天道流との出会いというか、清水管長との出会いというのは、いつ頃になるんですか?

伊佐 : 今から、どうでしょう。15、6年前でしょうか、先生? 私、会社の経営をして、約30年になりますが、ちょうどそのころ大変な自分の中の壁がありました。外的な壁があったこと、やはり内的に捉えるわけで、やはり自分を超える必要があったんですね。で、ちょうどその頃、福岡の両親も、特に父親が弱ってきましてね。片やそれを看病できないなんて、いくつかのいろんな自分の中の心の重しがありまして。で、私、ある時代から多少、座禅に縁があって、その頃ちょうど、山岡鉄舟の本だとか、江戸時代の白隠禅師の本だとか読んでおりました。それを頭で読んで、なかなか自分の中に入ってこない。で、ちょうどその頃、知った方から、天道館には、禅の研究家の鎌田茂雄先生が行かれているという…ああいう研究者がそこまでして体得されようとする道場というのはどういうものかなと思いましてね。私自体の苦悩といいますか、そういうことも、場所に行けば何か変わるかなということでお訪ねしたのが最初です。

司会 : そうなんですね。門をたたかれてどんな感じを受けられましたか?

伊佐 : いや、もう先生のお人柄がこんなふうなんで、私もすぐいい場所だなと思って。短かかったですが行かせていただきまして。その中で、やはりこう、形が美しいんですね、相手の力を生かすという…。我々は自分が、自分が…っていう思いが強いんですが、相手の力を利用して、その力を削ぐという…。だから我々は生きるために、自分がっていう思いがありますけれども、すべて来たものを受けながら返していくっていうことの大切さっていうかな、私は先生のお姿を見て、自分の人生の生き方を改めて確認したというのが、大変大きいと思っています。

司会 : 清水管長、どうですか? 今の伊佐社長のお話。

清水 : いや、本当ありがたいお言葉ですけど、随分オーバーに言ってくださったと思っていますけど(笑)

伊佐 : いや、とんでもない! 足りないくらいだと思っています。

司会 : 私も道場にお邪魔したんですが、空気がものすごく澄んでいるというか、落ち着く場所というような気がしました。

清水 : あの、道場の内装は伊佐社長にやってもらったんです。

伊佐 : ええ、うちの大工さんが喜んでお手伝いさせていただきました。

清水 : 手抜き、何もない! 安くやって下さったんですよ、ですからね、少しガタが来ても当然だと思っていましたが、なにひとつガタが来ない!

司会 : すごくしっかりして、そして木の香りもするような…。

清水 : いまだにそう感じますね。来た人がみんな「いい道場ですね。」って…その道場を見ただけで。作りがそのようにうまくやってもらっていますから。

伊佐 : 先生、あと皆さん、礼儀と掃除がすごいですよね。

司会 : あー、きれいですよね。

伊佐 : 掃除の姿がいいなって思いますね。

清水 : 門弟勢がやってくれるんですよ。今ね、160、70人使っていて、電気関係の二代目の社長さんが見えているんですよね。どこからああいうエネルギーが出るんだろうと思います。53歳、一回今度お会いされたらいいと思うんですけど、紹介したいですけど。これ、変わりませんね。もう2年半来ていますけどね、それは私のほうが見習います。

司会 : また、あの道場にあるあの“天道”という文字。揮毫された方が立花大亀老師。

清水 : そうです、京都の大徳寺の。

司会 : あの字も素晴らしいですが、あの故郷の話にちょっとなりますけれど、九州の天道からお取りになられた… 伊佐社長も九州のご出身ということでご縁がありますよね。

伊佐 : 管長と山を越えた反対側の博多の街でございまして。

清水 : 私は伊佐社長にお会いして、誠実な人だなあと思ったんですね。本当にね、いつ会っても気持ちがいい。今、ちょっと道場を遠ざかられていますけど、本当に感じのいい人ですからね。そして同じ九州でしょ。不思議なもんですね、故郷は福岡ですよね? なんか通じるものが…。

司会 : 縁というのはやっぱりあるんですね~。

清水 : ええ。道場に時々顔を出してもらえるんですけど、なんかもう全然遠慮なく話せるし、本当にありがたい方が近くにいらっしゃるから嬉しいですよね。

司会 : あ、伊佐社長、時々行かれるんですか?

伊佐 : いや、今はなかなか仕事があって行けてませんけれども、でも管長への思いはいつも抱いていますね。管長ね、本当に損得抜きで、裸で武道で一生を終えようなんてという方の尊さといいますか、みんなこう損得というのは出ますよね。やはりそれ以上のものをして、人生生きたいなと思いますよね。あとで損得はついてくればいいと思うんですが。今の子供たちもみんな損得が先に立つと思うんですけど、やっぱ無心で行く人生を歩きたいなと思いますよね。

司会 : それを体現されているのが清水管長…。

伊佐 : そうですね、本当にこの道でしゃべっている…。

清水 : やっぱり能力が…、いい成績でね、学校を出てましたらいいところに就職してたと思うんですけど、そういうこともありますね。それが、まあなんとかいい方向に進んだという…(笑)うちは天道って言いますでしょう? なんかおてんとうさまがこう助けてくれているのかなと…。

司会 : あの、ちょっとだけ話戻っていいですか? 伊佐社長、道場をお作りになった、その時になにか込めた思いというようなものがおありだったのではないですか?

伊佐 : そうですね、やっぱり木材はね、厚みがあって、命がありますよね。それがやっぱり大きいなと思いましたね。貼ったものと違いますよね、空間の空気が違ってきますよね。やっぱり僕は、高い安いじゃなくて、本物の中で生きるべきだと思います、人間というものは。どうしてもプリントもんでいきますとね、人間が軽くなってくると思いますね。安くてもいいから本物が大事だと思いますね。もう本当に、模造品というか、そういうものばかりですよね。やっぱり本物に出会うことが大事だと思いますね。

司会 : 本物の中で稽古される方というのは、じゃあ違いますでしょうね。

清水 : 違いますよね。昔はね、道場というのは立派だったんですよ。今はもう全然逆になりましたけど、ほとんど体育館借りてやってますから。

伊佐 : 先生、あの警視庁の剣道場なんて言うのは古風ですよね~。

清水 : 昔は町道場でもそういうのがありましたから。

伊佐 : なにかぴんと、凛としたものがありますよね~。

清水 : そういう威厳がありますよね。

司会 : 道場というのも、日本の美しさを一つ表すものだったのかもしれませんね。

伊佐 : そうでしょうね、そこに行けば違うという…。

清水 : やはり誇りがあったのでしょうね。

伊佐 : やっぱり住宅でも玄関の大事さってあると思うんですよ。玄関というのは大変な場所に行く関所なんですよね、玄関という意味は。やっぱりあそこで心が変わるというか、そういうけじめが今はないですよね。

司会 : ぜひその空間で、先生のお弟子さんたちにはますます磨いていただきたいですね。

清水 : あの日本家屋は、磨いてきれいになる、柱なんかはね。ヨーロッパのは、いくらきれいでも塗っているのが多いですよね、塗る文化というか…。日本は磨く文化のような気がします。

司会 : 下から出てくる美しさというか…人間と一緒ですね。

清水 : 使えば使うほど重厚味が出てきてね…、さわやかというか、癒される感じですよね。

伊佐 : 極めていくというかな、極めていくことですよね。

清水 : 今、観音温泉今度一度お連れしたいんですけど、観音温泉ってあるんですよ。で、そこは30万坪くらい持っているんですよね。で、そこで合宿やるんです、外国から来た人を含めたときに。でそこがね、凄いんですよ、木が。で、今いい温泉が出ますから。で、そこでね、よくこちらが頼むと板をタダで分けてくれるんですよ。だから、ヒノキの板が、うち、こうすみっこに…、何か会があるときに板を台にして座るんですけど、そういうのは、やっぱり私が合気道をやってきて、そこの先代がやっぱり合気道をやってる人だったんです、昔。で、知り合っていまだにずーっと続いているのは、そういう…なんていいますかね、昔の、武道を、もう白紙でやってたときのことが、昔の私の姿を見てよく頑張っているよなと思うような、感じが今、生きてきているような気がしますね。温泉も十分いいお湯ですから、楽しめるんですよね。

司会 : 伊豆の温泉で世界セミナーを開かれているというお話は、次週また詳しくお聞きしたいと思います。今日は楽しいお話をありがとうございました。合気道 天道流 天道館 館長 清水健二さん、そして、伊佐ホームズ代表取締役社長・伊佐裕さんに伺いました。お二人ありがとうございました。

清水伊佐 : ありがとうございました。

2016年7月

池上幸保

池上大坊本行寺檀家総代

詳細を表示
2016年7月は池上幸保さん

2016年7月は池上幸保さんです

池上大坊本行寺檀家総代をつとめている池上幸保さん。
学校法人立正大学学園理事、日蓮宗全国檀信徒協議会会長といった肩書きもお持ちでいらっしゃいます。

じつは池上さん、社長の伊佐とは慶應義塾大学時代の同期です。
でも当時は知り合いではなく、卒業後、卒業生を対象とした会などを通して、交遊を深めていったそうです。
本行寺の客殿新築にあたっては、複数の会社からの提案があったなか、伊佐ホームズが選ばれ、2015年秋に竣工に至ったというご縁もあります。

池上さんによると、もともとお寺は、役所であり病院であり、集会場であり学校でもあったそうです。現在では、お寺を遠い存在と感じている方も増えていますが、歴史をもつお寺は、家庭や学校で教えられないことが得られる場でもあります。

「檀家」とはもともとどういう存在なのか? そんなお話しをお伺いいたします。

過去の放送分を視聴できます

社長 伊佐裕との対談 [第三週] は文字でも読めます

《対談》池上幸保さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
再生
00:00
--:--

2016年7月 [第三週] 放送分

司会 : わたし歳時記。この番組は伊佐ホームズのギャラリー櫟よりお送りします。今月のゲストは日蓮宗大本山池上本門寺檀家総代の池上幸保さんです。そして今日は、伊佐ホームズの伊佐裕社長にも加わっていただきます。よろしくお願い致します。
さて、今月第1週目で池上本門寺は、日蓮宗の宗祖である日蓮上人が亡くなられた場所ということをお聞きしました。そしてまさに日蓮上人が亡くなられた、池上宗仲公の館跡地としてあるのが、池上本門寺三内寺院のひとつである本山池上大坊本行寺。ここの客殿の建て替えが去年行われて、これを担当したのが伊佐ホームズさんということで…、その関わりがお二人のかかわりということでよろしいんでしょうか?

伊佐 : いや、その前に大学の同窓ということもあったり、もっともっとその前の由縁がありまして…、私からちょっとその辺をお話ししましょう。
大学時代、私も同期で慶応大学を出たわけですがね、池上君のことは全く知りませんでした。卒業して15年ぐらい経って、同窓会で会いまして。実はその前に奥様のことを聞いておったんです。実は奥様のお父さんが、私の福岡の母校・修猷館高校の大先輩なんですよ。今97歳でご健在なんですが、この方のお宅にお邪魔していた時に「伊佐君、うちの娘が池上に行っとるとよ」って言われてましてね、その頃結びつかなかったんですよ。で、その後、卒業後、十何年経って会った時に、「あ、君が!」っていうことで。それからなんです。これだけのご縁が…だからもともと種があったのかなって、お会いできる。

司会 : そうしましたら、その建て替えには、そういううご縁があって進んだということになるんですか?

池上 : いや、あのね、もともとあった客殿が建築後40年位経ちましてね、鉄筋コンクリートで出来ていたんですが、経年劣化が激しくなって、建て替えなくてはいけないと。だいぶ手当をしながらやったんですが、もういよいよ建て替えなくてはいけないとなった時に、ご住職始め建設員の中でいろいろと協議をしましてね、やはり今度作るときには、寺院らしい、和風の建物にしたいねということになりまして。それで、数社お声がけをして、言ってみればコンペということになったわけですが、その中で私は伊佐さんのことを前から存じ上げてましたから、これはもう是非伊佐さんにも、プランの段階から入っていただこうということで、コンペに参加していただきまして。その出来上がってきたプランをみんなで検討した結果ですね、満場一致でこれはもう伊佐さんのところにお任せするのがベストであるということになったわけです。

司会 : 皆さん満場一致というのは、どこが一番…?

池上 : いわゆる伊佐ホームズが従来からこだわって建てていらっしゃる木造建築の持っている良さっていうんですかね、そういったものが寺院建築に一番ふさわしいと、いうことですよね。それを現代風に、現代の技術を持ってですね、木造の良さを生かして、使いやすさ、あるいは、いろいろな意味で、日本建築のもっている良さが十分に表現されていたと、こういうことだと思いますね。

司会 : 伊佐社長は、そのお話が来たときはどんなふうに感じられたんですか?

伊佐 : いやあ、本当に私にとっては驚きでした。また池上君が同窓会でお付き合いする中でね、私の仕事を見ててくれたんだなぁって思うことが嬉しかった。それとうちのような会社でこんな大きなね、お仕事のチャンスを頂いたと。で、戦後のある時期から、非常に社寺建築も鉄筋コンクリートになったんですね。それが、この30年40年経ってきますとね、大変、経年劣化っていう…今池上君言いましたがね、木造でしたらね、経年美化でね、年取ったことが美しいんですよ。残念ながら、新建材とか新しいものは、非常に醜くなるというのかな…。その辺をご住職、あるいは檀家総代の皆さんがよく認識されて。前提条件が木造ということと、伝統美ということをおっしゃってましたので、本当にこれは頑張って仕事をやらせていただきたいなと。またその頃、私の家内が重い病気に倒れておりましたのでね、そのためにもこれをやり抜きたいなという、私の個人的な思いも強かったです。その中で晴れて、皆さんからありがたいお言葉を頂いて、仕事が2年半かかってやって、去年の11月早々に竣工になったわけですが、私はこのような歴史的な木造建築、あるいは大田区、都内有数な場所でこういう仕事をやれたってことは、本当に人生のこれ以上の栄誉はないです。ありがとうございました。

司会 : こんなふうなお話を聞くと、逆にまた、池上さんも嬉しく思われるんじゃないかなと思うんですが…

池上 : そうですね。私はもう、伊佐さんにお願いするって決まった時に、もう絶対信頼してましたから。誰からもいいものが出来たねって言われるだろうというふうに確信しておりました。

伊佐 : 私自体、この会社を、信じる美しさのために作って、ずっと続けてまいったので、こんなような、私が思いの果たせた仕事はなかったですね〜。
木造建築はですね、やはり柱の大きさがある程度ありますので、無理が出来ないんですよ。それに従って設計していくので、そこに自我が出ずに…。あの、鉄筋コンクリートというのは非常に無理がきく、それは自我が出るんですね。私は、本当の個性というのは、自我を押さえながら、美しいものが湧き出るものだろうと思っているんです。木造はどうしても制約があるからこそ美しくなると私は思っているんですよ。今度の新国立競技場も含めて、木造の良さが非常に認識されているときだと思いますので、それに先駆けて、本行寺さんではこのような仕事に取り組まれて、そんなチャンスを頂いて、本当に私は嬉しゅうございます。

司会 : また、居心地のよい空間ということで、以前この「わたし歳時記」のゲストに出ていただきました、日本画家の中村宗弘先生の絵も飾っている…そういう意味でもとてもいい空間になっているなと…私、写真でしか拝見していないのですが、そんなふうに思っておりましたが…。

池上 : 中村画伯もご縁がございましてね、寺院に日本画を残したいという強いご希望があって、そんなときにたまたま本行寺の栗客殿の建て替えというタイミングがちょうど合ったんです。本当にご縁だと思うのですね。で、中村画伯も全身全霊を傾けて、素晴らしい絵を書いていただいた。それが正面玄関入ってすぐのところに今も飾られているのですけれど、参詣していらっしゃった方の目を大いに楽しませてくれてるなと思っています。

司会 : 本当にいろんなご縁が結びついているということですよね。

伊佐 : 私は絵を見ましてね、絵が入って初めて完成したなと、建物が。本当にあれをもって完成だと。たぶん絵っていうのはそういうもんでしょうね。一体化しましたね。
私、人間というのは自分の道を生きながら、不思議な人と出会って、その志を成し遂げて人生を進んでいくのかなと思いまして。さまざまな方と出会う、そこで教えられて、道が開けること…いつも痛感しておりまして。池上君には本当にそれを深く感じる…。

池上 : いや、なんかくすぐったいです。

伊佐 : いやいや、本当に。飲むときはこんなんじゃないんですけどね(笑)

司会 : そのお酒の場でもやはりいろんな刺激を受けたりとかされるんですか? どんなところが一番惹かれるところ…?

池上 : やっぱりね、伊佐さんは仕事に打ち込んでいる姿がいいですよね。脱サラして徒手空拳で会社を興されて、奥様のご協力もあって打ち込んだ…結果、今の彼があるんですけれどね、それに至るまでは、本当に口に言えないような大きな苦労されたと思うんですけれど、そういったことは決して口に出しませんしね、俺が俺が…っていうところもないですし、きわめて謙虚に、だけれども熱いものを持ちながら仕事をしているという、非常に魅力的だなと思いますね。

伊佐 : 僕からみますとね、池上君は慶応の同級生の世話役であって、いつも私心なく物事を引っ張っておさめて…必ずそれをやってしまうんですね。本当に信頼の厚い、大変尊敬している同級生です。ましてや、私は九州から17時間の夜行列車で東京に着いた人間、で、大学はほとんど行ってないんでですね、慶応の卒業といっても、あまり慶応の意識なかったんですけど、今大いに人生で、慶応の同窓、先輩たちと会って、大いに慶応の卒業生だと今実感しております。

司会 : なるほど、なんだか慶應義塾大学の魅力も今ここに感じられる気が致しますけれど…。お酒の場ではこんなまじめな話ではなくて、もっといろんな話をなさるんですよね?

池上 : もちろん〜。同年代が集まれば、馬鹿話、若い者の悪口を言いですね、盛り上がるというのは、もうどこでも同じです。

司会 : そしてまた次の活力に結びついていくということなんですね〜。今日ももしかしたらこの後飲まれますか?

池上 : さぁ、どうしましょう。

伊佐 : はい(笑)

司会 : なんとなく行きそうな…、ちょっとお時間は早いのですが…(笑) ありがとうございました。今月のゲスト、日蓮宗大本山池上本門寺檀家総代の池上幸保さん、そして今日は、伊佐ホームズ代表取締役社長・伊佐裕さんにも加わっていただきました。ありがとうございました。

池上伊佐 : ありがとうございました。

2016年6月

梅崎浩

視覚障害者高齢クラブつくし会会長

詳細を表示
2016年6月は梅崎浩さん

2016年6月は梅崎浩さんです

りんりん、りんりん、りんりん。
白杖の先に付けられた鈴の音。

収録日が伊佐裕との初対面となった梅崎浩さん(視覚障害者高齢クラブつくし会会長)は、45歳の時に突然原因不明の病に侵され、視覚に障害をお持ちです。

「このジャンパーは、円谷プロで仕事してたから着られるんだよ」と、自己紹介代わりに、くるりと背中を向け、シュワッチのポーズをとるウルトラマンのワッペンを見せてくださいました。

積極的に外出する、行動的な梅崎さんにとって、交通量が多い道、狭い道や歩道の段差は大敵です。用事を済ませ、出先からその角を曲がれば我が家というところまで辿り着くと、「あぁ、今日も無事に帰れた」と胸を撫で下ろすそうです。

誘導ブロック、細やかな設備、福祉サービス、世田谷区は視覚障害を持つ人にとっても住みやすい町と言えるのでしょうか。率直にお尋ねしてみました。

過去の放送分を視聴できます

社長 伊佐裕との対談 [第三週] は文字でも読めます

《対談》梅崎浩さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
第五週
再生
00:00
--:--

2016年6月 [第三週] 放送分

司会 : わたし歳時記。今月のゲストは高齢者視覚障害者クラブつくし会 会長の梅崎浩さんです。そして今日は、伊佐ホームズの伊佐裕社長にも加わっていただきます。よろしくお願い致します。お二人は今日初めてお会いになるわけですが、それぞれに楽しみにされていらしたというふうに聞いておりますが、どんなところ楽しみにしていらっしゃいましたか?

伊佐 : 私はね、今日梅崎さんが視覚障害がおありになるいうことで、今までそういう方のお宅を作ったことがないものですから、そういう住宅についてもそうですし、お仕事についてもお聞きしたいですし、両方のいろんなお話をお聞きしたいと思います。

司会 : 今日もこの番組、伊佐ホームズのギャラリー櫟からお送りしているんですが、どうでしょうか、梅崎さん、入った時に何かこう感じるものとかおありでしたか?

梅崎 : あの、一歩、あれ、手すりもそうですけどもあの階段も木じゃないですか?ね?なんか…すぐ感じましたね。うちは玄関から入ってもちろんコンクリで、中に入ってしまえば、靴を脱いでしまえば、板張りですけども、ああゆう外から入るのに手すりから何から全部木っていうのは、あれ?と思って…感じました。

伊佐 : 安心感か何かが強いですか?

梅崎 : そうですね、そうですね。手すりもああゆう角ばった手すりでね、持ちやすいです、僕なんかにすると。つるつるしないで済むから、すべらないためには、あれのほうがいいですね。

伊佐 : そうかもしれないですね。今日は、本当に目がご不自由ということで、我々うかがい知れないところがありましてね、たぶん音声とか、空間の把握力がお強いんだろうなというふうに勝手に思うんですが、いかがでしょうか? 空間に対しての感覚というのはどんなふうにつかんでおられますか?

梅崎 : 音声は確かに敏感になりました。それで、空間というのも音声で、例えば外に出てても、空間であっても空気を読んで、風から何から…そういう感じ方は敏感になりましたね。だからそれだけで、ここひょっとしたら交差点かな?とか、風の吹き方でね、そういうふうなあれはありますね。

伊佐 : 例えば、人間でも声の音質によって、人物がどうかっていう風にお考えになるでしょうし。

梅崎 : あ、なります!

伊佐 : そうでしょうねぇ。私はどうかな?という…(笑)

梅崎 : いや、あの、ひとこと、二言話しますとね、なんとなく感じますね。

伊佐 : 私ね、1回目、2回目拝聴しましてね、大変なご苦労の中で常にいい形で運命を開いてこられている…高校もそうですし、大学もそうですし、また円谷プロに入られたのもそうですし。こうゆう障害になられても道を開いておられることに大変感銘を受けておりまして、まして今日我々設計上の問題でこうゆうケースがなかったものですから、余計我々は、今後の為にもですね、空間論、住宅論を我々も勉強してですね、さっき丸よりは角のほうが安定するとおっしゃったことも大事なことかなと思いますね。

司会 : 梅崎さん、住まいに対するこだわりっておありですか?

梅崎 : 今住んでいるところというのが建売で、その時は見える状態で。30年前ですけどね。でもそこから手直しをしたところ、どうゆうあれで、手直しをしたかというと、まず、だんだん僕が高齢者になってくるにつれて、すべりやすいっていうか、お風呂場なんかは全然手すりがついていなかったのを、手すりをまずつけ始めましたね。それでお風呂を改装して、浴槽にもすべらないようにしまして、すべらないようにということは気を遣いました。それで見えなくなってからというのは、今度は段差。うちの中で敷居とかね、跨ぐんじゃなくて、なければっていうことでなくして。たまたまその時床暖に階下だけ変えたんですよ。床暖に変える時に、下の敷居を全部外しましてね、ふすまとかそういうのも、ふすまがあっても、スライドしてても、段差がないようにということをしました。で、2階はそのまま、段差があるまんまで、日本間一つと子供部屋2つなんかはそのまんまなんですけれども、2階の畳の部屋だけ気をつけていればこけたり、つまずいたりすることがないもんですからね、その段差っていうのは非常に気を遣っていましたね。階段もやっと手すりをつけて…万が一のためにもつけました、やっと。

司会 : 段差がなくなってかなり快適になられましたか?

梅崎 : そうですね、安心してます。

伊佐 : 中途半端な段差なんていうのは、一番悪いでしょうね、はっきりとした段差であれば、はっきりとした差異があるんで。中途半端というのは非常に見逃しやすい危なさがありますでしょうね。

梅崎 : そうですね、本当に、年取った人が歩いていても、点字ブロックのぽこっとしたぶつぶつ、あれにでさえひっかかっちゃうんですよ。ですので、あの高さでも躓く人は躓いちゃう。ですので、やっぱり出来るだけ平らな方がいいですね。

伊佐 : あと材料的なことで、足触りとかで安心だなって思われることって…、今日は上ってこられるときに、木材だってことを感じられたお話されていましたけど…。

梅崎 : ええ。やっぱり、コンクリよりは…あの今みんな、うちもそうですけど、床暖にしたら木が全部失われてますよね、上にちゃんとつるつるのが貼ってありますんでね。で、それよりはやっぱり木のほうがいいですね~。

伊佐 : 今、床暖も木材でも十分大丈夫ですよ。

梅崎 : あぁ、そうですか!へ~。

伊佐 : お手伝い致しますよ(笑) どうしょうね、コンクリートよりやっぱり木のほうが安心感があるというのは、大事な問題かもしれませんね。

梅崎 : 感じ方全然違いますよね。長くそこに生活したりとか、しょっちゅう出入りするならなおさらそうですね。

伊佐 : あとは家の中で、例えば、南の光が明るいとか、その辺の気配とかは梅崎さんの場合感じられることはありますか?

梅崎 : そのへん、僕は光は全然見えないので、自分の頭、この頭が薄いので…

伊佐 : そこに座られたら、もう光があるんだっていう感覚が戻ってくる…?

梅崎 : いや、やっぱり温かさがないと…太陽光があると…朝…

伊佐 : 定位置にいらっしゃる…いい場所にいらっしゃる…じゃあ家庭の中での定位置が大事なんですね。テーブルの場所もそうだし。

梅崎 : そうそう、動かないですよ(笑)

伊佐 : でも笑顔がすばらしいし、お元気ですよね~。

梅崎 : いやいや、まだ70ですから(笑)

伊佐 : でもちょっと私、はじめ今日は緊張して参ったんですよ。こういう対談初めてですから。なんの壁もなく私もこうやってお付き合いをさせていただいている感じがします。

司会 : 実は梅崎さん、本当にアクティブでいらっしゃるんです。今お家の定位置っておっしゃいましたけど、おそらくそこにずっと長くいることは…ないですよね?

梅崎 : まぁね、たぶんね(笑)

司会 : 意識して外にも出ていらっしゃるというふうにお話されていて、そういう意味では、お家そのものもそうなんですが、街についてもいろいろ感じるところがあるんじゃないかなと思うんですよね。

梅崎 : たまたま、うち、路地になっていましてね、非常に子供の声がするんです。安心です。本当に安心で、うるさいというか、大変な通りから、70、80メートル入っているかな…で、全然その音がしないんですよ、通りの音が。で、子供が周りに幼稚園の子供とか小学校の子を入れると4人くらいいるんですけどね、やっぱり元気だからその声を聴くとね、本当に安心感。いいとこに住んでるなぁと思って。ちょっと駅には遠いけども(笑)

伊佐 : だから今は老人ホームと小学校が近いほうがいいとかね、よくそういうことで計画されますよね。

梅崎 : 面倒見てもらえたりね、老人のことを理解したりとかね、老人の人も子供の声とかね、やっぱりお孫さんと離れ離れになったりしてる老人の人たち多いんで、そういうの安心感あるんじゃないですかね。

司会 : じゃあ次週はその辺のところを少し膨らませて聞かせていただいてもいいですか?今月のゲスト、梅崎浩さんにお話を聞かせていただきました。そして今日は、伊佐裕社長にもご一緒していただきました。ありがとうございました。

梅崎伊佐 : ありがとうございました。

2016年5月

山谷えり子

参議院議員

詳細を表示
2016年5月は山谷えり子さん

2016年5月は山谷えり子さんです

評論家であり、ラジオパーソナリティーとして活躍した山谷親平さんを父に持つ、参議院議員 山谷えり子さん。

「大切にしないと家族ってものは壊れるんだ」、「縁あって家族、上機嫌がマナー」が口癖だった、家族愛にあふれるお父様に育てられた山谷さんは、社会が大きな家族のように睦み和らぐ政策を作り、実現させたいとおっしゃいます。

新聞記者を夢見た活発な少女が、政治家「山谷えり子」に成長していく奮闘ぶりを生き生きと語ってくださいます。

過去の放送分を視聴できます

社長 伊佐裕との対談 [第一週] は文字でも読めます

《対談》山谷えり子さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
再生
00:00
--:--

2016年5月 [第一週] 放送分

司会 : わたし歳時記。今月のゲストは、参議院議員の山谷えり子さんです。そして今日は、伊佐ホームズの伊佐裕社長にもご一緒していただきます。よろしくお願いします。
今日は子供の日なんですけれども、お二人って子供の頃はどんなお子さん…、何か子供の日の思い出なんておありですか?

山谷 : いや、もうやんちゃでねー。私福井で育ってましたけど、福井はまだ野っぱらが多くて、占領時代の生まれですけど、当時まだまだそのころ野っぱらが多くて、あっちゃこっちゃに秘密基地を作って、トムソーヤとハックルベリーフィンごっこばっかり(笑)

司会 : 楽しそう!社長は…?

伊佐 : 私は魚とりですね。橋を渡ってましてね、上から見たね、川にこう…いろんな小魚が泳いでるのを見てね、胸がときめきましたね。そうゆう自然の中でだんだん社会への勉強になったり…。

山谷 : ねー、友達とじゃれまくって…自分というよりもなんか団子のように遊んでいたね、皆ねー。

司会 : その頃はまさかお二人出会われるということは思ってもいなかったと思いますが、さてお二人はいつごろ、どんな形で出会われて…?

伊佐 : 20年前でしょうかね?

山谷 : 私、生活情報誌のサンケイリビングの編集長をやっていて、ありとあらゆる生活の情報誌で作っていたんですが、なんかそれで、たぶん住まい方とかで社長と出会って、お家まで呼んでいただいて…。素晴らしく落ち着いた、本当に品のある、こう日本の根っこから栄養を頂いている…みたいな感じの家で、奥様がお優しくて、卵焼きがとてつもなく美味しくて、色々ごちそう頂いて…。で、ファミリーがあったかくて、やっぱり、器とこのファミリーって本当に一つなんだなって。で、伊佐社長が、以前は大手の商社マンでいらして、住宅部門で、そのままこう大きな会社でやっていく方がもしかしたら楽だったのかもしれないのに、やっぱり自分自身の美意識と哲学と人を幸せにしたいっていうコンセプトで、やっぱり自分の思う住宅を皆さんにねーっていう思いで私の道だって決めて独立されて、会社立ち上げられて…。

伊佐 : いやー、卵焼きのことは私忘れていました(笑)我が家はですね、大事な方は我が家でおもてなしをするっていうのが鉄則でして。浜美枝さんとか、のちにはペルーのフジモリ大統領も我が家で家庭料理でおもてなししましたね。

山谷 : だからね、私も伊佐社長も世田谷住まいですけども、歩いているとウッと思う家があって、それは伊佐社長が建てられたね(家でね)、光とか風が通るとか、間があって、自然に邪魔しなくて溶け込んで、それでいて凄い存在感があるみたいな…。

伊佐 : いやーありがたいお話を!ただお客様からはそんなふうなことは時々お聞きしますね。それとなく伊佐ホームズじゃないかなというふうに言われるのがとっても我々嬉しいんです、実は。

司会 : それだけ街に、風景に溶け込んでいるということなんですかねー。

山谷 : やっぱり日本文化研究会の理事もしてらっしゃるくらいだから、日本人としての自然体、それから長く皆が生活を積み重ねてきて、日本の国柄とか、日本人の感受性とかあるいは自然との交流とかね、そういうものを形にするとこうなるのかみたいなね。

司会 : お二人とも日本というもの、文化を大事にしていらっしゃる、そのへんが共通するところでしょうか?

山谷 : もう感謝でいっぱいなんですよね。やっぱり世界でいちばん長い歴史と統一国家としての文化・伝統を持つ国というのが、本当に大きな宝の中に私たちたまたま生まれ育っているなということと、日本人の思想って、おむすびじゃないけど、結びの思想でね、結ばれること繋がれることによって、素晴らしいものが生まれ、生み出されてゆくっていう、そうした考え方、感じ方というのは素晴らしいですね。今ほら、テロリズムとか対立とか、あるいはポピュリズムとか、なにかざわざわしていく世界の中でですね、本来の人間と人間のありかた、あるいは人間と自然の在り方、あるいは今生きている人間とご先祖様たちが積み重ねて下さったことやら、未来のひとたちがこれから作ってくれるだろうこととか、みんなつながっているっていう感覚がね、ありがたいし、それによって落ち着けるというか。
今度伊勢志摩サミットがありますけれども、私伊勢ご遷宮・平成25年度参列させていただいたんですが、41代持統天皇のころから1300年間、20年ごとに新しいお社を作って、祈りを込めて手抜きをせずに、その技術っていうのは神様に捧げる、そして捧げることによって一人一人も幸せになれるっていう、モノづくりの日本人、 あるいは謙虚な日本人、それから誰が見ていなくても真心を込める日本人の姿が象徴されているなと思いまして。で、もうさっと、奈良時代までさかのぼれる日本人って凄いなと、奈良平安鎌倉、なんかいろいろな時代のようだけど、でも脈々とそうしたものを大事にする心っていうのがずーっと時代を超えて伝わっているわけですから。

司会 : 本当にお二人共通するところがたくさん、そういう思いがおありだと思うんですが。

伊佐 : 年も!(笑)

山谷 : そうそう3カ月違いの(笑)まぁ団塊の世代の一番右の方というか…。だからそのみんな希望に燃えて大人たち頑張っていたし、そんな中で子供なりにお役に立ちたいと思って素直に言い切れた時代かなーって。

伊佐 : 今日は子供の日ですから、山谷さんにとってご両親の姿こそ教育のすべてだったろうと思いますが…

山谷 : それは本当に家庭教育というかねー、やっぱり愛情を注いでくれましたし、それから月に一回、うち普通のサラリーマンだったんですが、父が新聞記者で、月に一回食事、外食ねー、今なら外食当たり前かもしれないけど、当時めずらしくて。で、ハンバーグかなんか食べているときに「えりちゃん将来に何になりたい」って聞かれたんで、父と同じ職業を答えると喜ぶかなって思って「新聞記者」って答えたら、「そのナイフとフォークの使い方だったら、将来アメリカに行って、大統領に取材した後、ホワイトハウスでディナーを食べても、呼ばれても大丈夫だよ」って言って、もうねちっちゃいころにね、で「あ、いろんな可能性があるんだー」って。
で、福井から東京に引っ越してきた時に水泳部に入ったんですが、なかなか勝てなくてね。そしたら「人がやっていない種目ってなあに?」って。当時は女の子でバタフライの200メートルとか個人メドレーやる人いなかったんですよ。で、「それをやっているのはあんまりいないよ」って「じゃあそれやれよ」ってやってみたら世田谷で2位!(笑)素晴らしい銀メダルもらっちゃって。そういうふうにね、なんかこうちょっとした人生を渡るコツとか、それから世の中面白いんだよっていうふうに見せてくれる…それはなんか良かったなあって。

伊佐 : 私はですね、父親が事業をしていましたので家庭にいろんな人が出入りするんですね。私幼くして社会と触れてきたんですね。学校を出たから社会に行くんじゃなくて、非常に家庭の中に社会があって、あるいは酒を飲む姿があって、あんな男にはなりたくないなと思ったり。あるいは、母は70なんぼまで寝込んだ姿を見たことが無かった、何一つ愚痴がなかった。すべては物事は成り立つ、何があっても、私のことを「裕ちゃん大丈夫」って。かたやですね、親父は厳しかったですがね、いろんな私の話を聞いてくれました。私は小学校の時に、一日で180匹の昆虫、カブトとクワガタを取ったんですよ。

山谷 : また自然も豊かで…凄い!でも集中力がありますね。エネルギーっていうか…。

伊佐 : そういうこう成果はやっぱり親から認められて…このへんからですね、思いますね。

山谷 : うちの父も麻雀が好きで、当時新聞記者たち麻雀よくして、いつも10人近くうちにどさどさっと来てはお酒も飲むから、もう給料前にお金がなくなっちゃうんですよ。それで母が質屋に着物を預けに行ったりとか、それでもうちの母も面白がって全然愚痴も言いませんでしたけど。で、麻雀は4人だから、のこった、あぶれた男性記者たちは私相手に、かっぽれとか都都逸教えたり、お座敷芸教えてもらって、楽しかった。

伊佐 : 社会への抵抗力はそのころから免疫がね…。

山谷 : そうね、だから天下国家をなんか子守歌のように聞いて…。

司会 : お二人とも素晴らしい家庭・環境の中で過ごされたんですね。いかがですか?こんなふうにしていてお二人とも同学年、3カ月違いということですが、とっても活力に満ちているというか…どこにその秘訣がおふたりおありですか?

山谷 : 運動は好きなんです。だから今でも水泳やっていますし、学生時代はずいぶん山登りもしましたし、今は合気道。週に一回通って今四段ですけれども、体を動かすことが好きで、うん。

伊佐 : 私も月に二回山登りしているんです。

山谷 : あ、そうなんだ、やっぱり自然から力を頂く…。

司会 : 今日はお二人のお話の中からいろんなところが見えてきたんですけれども、次回もまたいろんなお話をお聞きしたいと思います。お二人ともありがとうございました。

山谷伊佐 : ありがとうございました。

2016年4月

橘益夫

一般社団法人IKIGAIプロジェクト代表理事

詳細を表示
2016年4月は橘益夫さん

2016年4月は橘益夫さんです

1947年生まれ 東京都出身。

1970年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、(株)電通入社、トヨタ自動車を中心に営業部門を務める。取締役専務執行役員を経て、2013年顧問を退任。日本マーケテイング協会「マーケテイング・マスター」を取得。一般社団法人IKIGAIプロジェクト代表理事、公益財団法人電通育英会・理事、公益財団法人吉田秀雄記念事業財団・評議員、一般社団法人ユニバーサルコミュニケーションデザイン協会・理事。

過去の放送分を視聴できます

社長 伊佐裕との対談 [第三週] は文字でも読めます

《対談》橘益夫さん × 伊佐裕 社長

視聴画面に戻る
第一週
第二週
第三週
第四週
再生
00:00
--:--

2016年4月 [第三週] 放送分

司会 : わたし歳時記。今月のゲストは、橘益夫さん。そして今日は、伊佐ホームズの伊佐裕社長にも加わっていただきます。お二人、よろしくお願いします。

伊佐 : よろしくお願いします。

司会 : といいますのは、この番組、伊佐ホームズのギャラリーで収録させていただいておりまして、本当に木の香りのするとても心地よい空間なんですが、お二人の共通点としては、慶應義塾大学の法学部のご出身、ただ学年はちょっと違いますよね? 学生時代には何か接点はおありだったのでしょうか?

伊佐 : 全くないですね。

: 私が先輩でございます。

司会 : ではいつ頃出会われて…?

伊佐 : それは今から23年前、当社が橘邸という大建築をやらせていただいたときに遡りますね。それで、似ているようで、橘さんはまさに都会の典型的なスマートな方でいらっしゃった…私は九州から出てきた、田舎をしっかり背負って東京にきた人間でありまして、似ているようでまったく似ていないところがございました。

司会 : 似ているところはどんなところですかね?

: うーん、僕は正直言って、伊佐さんに似るってことはあり得ないなと思っております。伊佐さんって、さっき田舎からっておっしゃいましたけど、というより、自分の信念を持って、特に建築ってまさに大黒柱じゃないけど、そういうものがあって成り立つものじゃないですか。伊佐さんってまさに自分が大黒柱で家を作っていくっていうお気持ちを持って、新しい会社を建てられたのを知っていましたし、で、その木で作る家ということに僕共感して、家を建てさせていただいたんだけど、伊佐さんが持っている誠実さ、それからある意味では物事の本質を一生懸命見極めてモノを作っていく…。これ、僕は広告会社に、電通にいて、正直言ってちょっと表面的なとらえ方でずっとやってきたことと、モノづくりの基本が違うなと思っています。そういう意味では、伊佐社長の生き方・考え方とは、私は同じ学校出身なんですけど、違うなと実感しています。

伊佐 : いやいや、そこは私ですね、橘さんのこと、こう思うんですよ。本当にソフトでいらっしゃるけれども、自分の道をきちんと通してこられた方だ…私なんて思いがあるとそこだけが出っぱって、非常に頑なになるんですけど、橘さんはすべてを受け入れられながら、前に来られた、あとは非常に人がお好きだと、そこは私と大変似ておられると思うんですけど、私だったらこうまっすぐ行ってしまうところ、橘さんは受けながら広げてこられたという…私は、こうやって長年のお付き合いになって学ぶところが多々あって、今またすばらしいことに一緒に取り組んでいるんですよ。

: 今お話あったように、伊佐さんね、新しいことに挑戦されるのが好きだし、とても好奇心旺盛、そこは僕本当に一緒なんですね。だからついついね、伊佐さんから「こんなことやろうよ」って言われると、「じゃあちょっとやってみましょうか」っていうふうにご一緒するケースが多いんです。これはね、伊佐さんのいい意味での人を使ってくださる、得意技ですね。伊佐さんって人が好きな方じゃないですか。伊佐さんは特にですね、一度会ったら友達、二度会ったら親友、三度会ったら親戚同然ですよ。この付き合い方って類稀な方ですね。それはそれだけ、相手が心を許すってことをさせる方ですね。

伊佐 : 私福岡で生まれて、大変人の出入りが多かったんですね、私の家に。小さいころから挨拶することが多くて。で、人の前で歌うと…親父たちの宴会に入りますと「おい、裕、歌えよ」ということでみんなから拍手が出るんですよ。そういう家庭で育ったので、そういう点ではよかったなと思いますね。それだから、人への挨拶もね、川の向こうに友達が歩いていても、「おーい」っていう…川の向こうにいてもこう(挨拶をする)、だから近くにいても川の向こうまで語るような思いってあるんですね。

: それ本当に人がお好きなんです。人との結びつきをともかく大切にしたいって気持ちが強いよね。いやー、こんなね、純粋っていうかね、いい意味での、僕はそういう方にね…正直言って周りにはなかなかいらっしゃらないかな。

伊佐 : でも家づくりって、お嬢さんたちが小さかったですよね、まだ幼稚園でしたかね、あの時は。それがもう皆さん一家を構えられて、お子さんがいらっしゃるという…。家づくりってやはり長いスパンですから楽しいですね。これほど長いスパンの商品をやっていくというのは…、商品という言葉はおかしいかもしれませんが、素晴らしいなと思いますね。

: そうですね、素晴らしいお仕事。伊佐さんは自分でそれをともかく立ち上げておやりになるって知って、瀬田にちょうどね、ショールームというか本社があって、よく犬の散歩で歩いてて、その家を見てて、「あーこんな家に住みたいな、こんな家に住めたらいいな」と思ってて、その当時正直伊佐ホームズって名前はそこに行ってしか知らなかったんです。で、門を叩いて伊佐さんにお会いして…

司会 : また人柄にほれ込んで…?

: そうです。

伊佐 : もうあのモデルハウスも28年過ぎましたね。今でも変わらないんですねー、建物が。いや今のほうがいいかな。経年美化ですよね、天然素材は。工業製品は出来たときは最高で、非常に放物線を描きますけど、自然素材はソフトランニングしていくし、それがますますよくなっていく。だから日本の文化の「わびさび」っていうのは、木はさびていくんですよね。ある面じゃ白っぽくなっていくようなカビがあるんですね。それでこう白くなっていく、それが美なんですよね。

: 人間も経年美化したいですね。経年美化っていう言葉を我々のテーマにして生きていきたいな。

伊佐 : 私はずっと絵を書いていまして、絵が私を支えているなと思うんですね。やっぱり絵はつり合いですから、あるいは色彩のバランスとか質感とか。私らの家が、非常に質感のある、漆喰だとか漆だとか、素材感の非常にある家でしたので、そういう触る感覚というのが大事かなと思っていますね。

: そうですね。触感とか、におい、空気…。

伊佐 : 食物でもそうなってきてますよね、ジュースでも食感があるようなものずいぶん出していますよね。

司会 : 五感で感じるすべてを大事にというような感じですか…。

伊佐 : 五感は命ですよね。

司会 : それは橘さんも共感なさって…?

: そうですね。よくシックスセンスっていいますよね。その五感だけじゃなくて、そこからその次にひらめくものというのは、そういうものが身についたり、その空気にいるから得られるものだと思いますね。

伊佐 : そうでしょうね、触発されて。

司会 : そして、先週のお話にもありましたが、「夢は見るだけじゃなくて、叶えるもの。見れば叶う」というようなお話もありました。そこに向かってまだまだお二人すすんでいくというところでしょうか。

伊佐 : そうですね、楽しみですね。ますます我々青春です。本当に老いたらますます青春なんです。

: いいねー。経年美化という言葉をいただいちゃった〜。

伊佐 : 変わらない青春がありますでしょ?

: もちろんです。新しい青春です。青春の1ページって感じじゃないです。何ページ目かもしれませんけど(笑)。

伊佐 : いやいや、新しい、新しい。今、ページがめくられますよ。

司会 : 私も負けられないなと思いました。

: 当たり前ですよ。

司会 : 橘さんには来週もお話を聞かせていただきます。橘さん、伊佐社長、ありがとうございました。

伊佐 : ありがとうございました。

2016年3月

柴田美保子

女優

2016年2月

橋本善八

世田谷美術館 学芸部長

2016年1月

中村宗弘

日本画家

2015年12月

池井優

慶應義塾大学名誉教授

2015年11月

桑島俊彦

全国商店街振興組合連合会最高顧問

2015年10月

大須賀賴彦

小田急電鉄 代表取締役会長

2015年9月

鍵山秀三郎

イエローハット創業者・日本を美しくする会相談役

2015年8月

徳川家広

徳川宗家19代目・翻訳家・政治経済評論家

2015年7月

望月照彦

都市プロデューサー

2015年6月

江川洋

公益財団法人江川文庫代表理事・江川家42代当主

2015年5月

神野三鈴

女優

2015年4月

坂口寛敏

東京藝術大学教授・画家

2015年3月

吉松正秀

NPO法人未来を創る学びの場代表理事

2015年2月

松本純夫

東京医療センター名誉院長

2015年1月

徳澤貴美子

表千家教授

2014年12月

イイノナホ

ガラス作家

2014年11月

熊本哲之

前世田谷区長・せたがや文化財団名誉顧問

2014年10月

小川糸

作家

2014年9月

武見敬三

参議院議員

2014年8月

後藤圭子

鎌倉彫 博古堂当主

2014年7月

川口淳二

長谷川町子美術館 館長