
伊佐ホームズでは、真言密教の一大聖地「高野山」において、約800年前に開創された本覚院の敷地内に、住職室、宿房の厨房施設を含む、家族の住居部分の建替えを、御指名いただきました。“日本の家”の在り方を追究し、今年で会社設立20周年を迎えた当社にとって、日本文化を象徴する高野山という地で仕事ができる機会を得たことを大変光栄に感じております。
この「高野山〜雲上の邸宅」では、施主である本覚院の稲葉氏との出会いから、竣工までを約半年にわたり、報告していきます。

高野山は、約1200年前に弘法大師空海によって開山された真言密教の根本道場であり、全国に広がる高野山真言宗の総本山です。弘法大師は、当時の日本の仏教には、印度の霊鷲山、補陀落山、中国の五台山、天台山に比す「修禅の道場」が必要と説いており、弘仁7年(816)の開創以来、大日如来の仏都として密教宇宙の中心をなしてきました。
また、地名としての高野山は八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指しています。標高900メートルに展開される山内の寺院は、およそ117あり、太閤秀吉から太平洋戦争の英霊まで祀られているほか、寺院の多くが宿坊といった宿泊施設を兼ねています。
平成16年には、数々の歴史的建造物と自然環境が見事に調和していることが評価され、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録され、世界中からも多くの観光客が訪れています。
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| 【大門】高野山の総門であり、正門。 | 【根本大塔】真言密教の象徴として建立された。 |


施主の稲葉氏が僧侶を務める本覚院は、約800年前に開創された寺院です。開創に当たっては、次のような言い伝えが残っています。後鳥羽院の建久年間(1190年)、行空上人が待宵小侍従の請によって登山し、弘法大師が自ら六地蔵菩薩を彫刻して安置した場所、つまり今の本覚院境内に宿して読経を続けていたところ、出現した地蔵菩薩が光を放ち、「汝、ここに住せよ」と告げられました。歓喜した行空上人は十二院を建立しましたが、上人が常に法華経を講じたところから「講坊」と称せられました。その後元禄年間、講坊を太皇太后宮小侍従の戒名に因み「本覚院」と改称し今日に至っております。
ちなみに六地蔵菩薩とは、過去現在未来に渡って、生きとし生ける衆生を六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)の苦しみより救済する尊い仏様のことをいいます。
現在は一般の方々が宿泊できる宿坊として、新築または新改装された客室57室、大広間150畳などを兼ね備えており、苔を配した石庭、滝のある北翠庭など五つの美しい庭園に囲まれています。また、精進料理にも定評があり、多くの方々が高野山探訪の機会に訪れています。

施主である稲葉氏は33歳。現住職の祖父、副住職の父に次いで、本覚院40代目の住職になる予定の若き僧侶です。寺と一つにつながった、自らが生まれ育った住居は、築80年近い建物で、標高900メートルに位置する自然環境の厳しい高野山での生活では、必ずしも心から安らげる場所ではなかったと言います。
新築の動機を稲葉氏はこう語ります。
「宿坊を併設する寺院の経営は、家族全員で協力して行っています。そのため、家族は24時間顔を合わせているし、職場とプライベート・スペースの物理的な隔たりは全くありません。精神的な解放を得るには、難しい環境でした。また、以前から仕事中、つまり《オン》を充実させるための《オフ》の重要性を考えていました。しっかり働くためには、しっかり休むことが必要だと思うのです。仕事上の機能や能率、生活の《質》のような、形には表れないものが、家の構造、スペースのレイアウトといった物理的な要素に大いに影響されるとも思っていました。だから、家の新築は、家族のこれからの生活を充実させることにもつながるし、なにより800年続く寺を守り、次世代へ引き継いで行く上で、重要な事業になると思っています。さらに、高野山の冬はマイナス10度にもなり、身にしみる寒さであること、私自身が結婚して、新たな家庭を持つことも、新築を考えた大きなきっかけです。」
稲葉氏は、母が定期購読していた雑誌『婦人画報』で伊佐ホームズの記事が目に止まり、東京の当社モデルハウス「 駒沢住宅 」まで足を運んだそうです。
「大手の建築会社のこともかなり調べましたが、伊佐ホームズの記事を見た瞬間にコレだ!と思いましたね。和のテイストを取り入れながら、現代の生活に合った住空間を見事に表現していること。学生時代を東京で過ごし、現在もプライベートではよく行き来していますので、相談する先が東京の建築会社だということには全く抵抗ありませんでした」
こうして、住職である祖父、副住職の父と母、母の妹である叔母、そして稲葉氏の新婚家庭といった多世帯が暮らす家づくりが始まりました。
( 第二回「住居の計画」へ続く )